#5 農家&僧侶・中村明珍「バンドやろうぜ」(2019.10.4&11)
カミガキ談(こころをいやされるBOYS)
今回の会議相手は、広島のお隣りである山口県周防大島からいらっしゃいました。周防大島は非常に気になっているエリアで、もちろんこの方の存在も存じてましたよ。
「チン中村」名義で銀杏BOYZのギタリストとして活躍。しかし2013年、突然バンドを脱退。仏門に入り「中村明珍」と改名。さらに奥さん側の実家である周防大島に移住して農業をスタートーーパンクスから僧侶へ、そして農家へ。いったいその魂の彷徨の裏には何があったのか?
あ、まず明珍さんがどんな人か。周防大島がどんなところか知ってもらいましょう。こんな人で、こんな島です。音楽は銀杏じゃないけど。
めっちゃイイ顔してるなぁ~。そしてイイ島の風景。しかし自分のバンドじゃないのに主役を張ってしまう存在感、さすがの明珍さん。
ついでに銀杏時代の明珍さんも見てみましょう。もともとはこういう人だったんです。ビフォーアフターのこっちがビフォー。
髪が陽水みたいだったりする頃……あとで判明しますが、明珍さん、髪型の変遷は自分探しと一致してはいたらしいです。迷いまくってたわけですね。
では登場してもらいましょう、今回の「文化系クリエイター会議」のお相手は中村明珍さんです!
まず改めてプロフィールを確認。
「人気ロックバンド・銀杏BOYZのギタリストとして活躍し、東京で暮らしていた中村さん。東日本大震災を契機に都会での生活に疑問を抱き、『どうせなら真逆のことをしよう』とバンド脱退とご家族での周防大島への移住を決意。現在は中村農園代表、僧侶を兼務」……え、なんか間違ってます?
これ若干語弊があって……僕は周防大島のこと、もともと知らなくて。妻と結婚して初めて知ったんです。妻の両親の実家が周防大島にあったんです。さらに、いま言ってもらった『東日本大震災を契機に都会での生活に疑問を抱き~』っていうのも僕じゃなくて妻がそうだったんです。僕はどっちかというとバンド活動に疑問を抱いてたんです(笑)
バンド活動への疑問? その流れで、まずは「パンクス→僧侶」のいきさつを聞いてみましょう。
銀杏活動は10年近くやったんですけど……ものづくりの世界ってそれなりに負荷がかかるんです。特にバンドはそこに集団って要素が加わって。かみ合ったときはひとりじゃ出せない爆発力が起こるけど、それって結構奇跡的なことで。銀杏時代はステージやってないときもONじゃなきゃいけないと思い込んでて、ひとりでお風呂入ってても『何か面白いことやらなきゃいけないんじゃないか?』って思って面白いことやって、それを次の日メンバーに報告して『やべーな! ヨシ、曲とろう!』ってなるっていう。チャージなしでどこまで飛べるか――それがだんだん狂ってるのか普通なのかわからなくなっていって……それが僕の中で仏教とくっついちゃったんです
普段のくらしでどこまで「ぶっとべる」か。そうしたブレイクスルーへの圧力がどんどんシンドくなり、明珍さんはいろんなものに救いを求めます。キリスト教の教会に通い、お寺で瞑想や呼吸法も教わりました。その仏教の居心地がよくて、僧侶の道に入っていきます。
放送では使われなかったけど、個人的にとても好きだった音楽にまつわるエピソード。
僕、銀杏入ってすぐに「弾かないギタリストになりたい」って峯田(和伸)くんに言ったんです。どうしても「ギター=権威、自己主張」っていうイメージがあって、ギター持ってる自分が恥ずかしくて。ステージでギターソロのクライマックス弾いてるときも、つい「俺、いまダサい~!」と思ってしまって、笑えて演奏止めたりしてたんです。だって「僕みたいな人間が何やってるの??」っていうか……カッコつけてる自分も恥ずかしいし、かといってカッコつけてない人も恥ずかしい……そう思っちゃうこと自体が煩悩だと思うんです
ギタリストなのにギター弾いてる自分が恥ずかしい。カッコつけることも恥ずかしいし、カッコつけないことも恥ずかしい――ああ、なんかね、こういうの至言だと思います。
ということで、クリエイティブな時期もあったけど「人間の世界だけだとちょっと限界がある」と思った明珍さんは仏門に入ると同時に、東京脱出、そして農の世界にも入っていきます。
ちなみに明珍さん、埼玉県所沢市出身。農業の経験はあったんですか?
銀杏をバリバリやってたとき、思い立ってプランターと土を買ってきて、マンションのベランダで枝豆を育ててみたことがあったんです。そしたらできて、「あ、俺でもできんじゃん。美味しいじゃん!」って。で、妻が先に周防大島行っちゃって、行ったらすごく過疎してる場所で。仕事なんてなさそうだ、と。そしたら妻が「畑やれば?」って言うんです。それで枝豆のことを思い出して「ああ、あれか」って
それだけ!?…………しかしそこからの行動力がスゴい明珍さん。大きな出会いを引き寄せます。
その頃、たまたま新聞で『奇跡のリンゴ』で有名になった青森県弘前市の木村秋則さんの本を読んで、「めちゃめちゃ面白い!」って思って。その木村さんが書いてることが自分のこれから進もうとしている道として本当に正しいのかどうか、直接会いに行ったんです。一応アポのメールは出したけど返事がなくて、それでも弘前まで行ったけど木村さんにお会いすることはできなくて。留守の事務所に置き手紙して、どうしても帰るに帰れなくて海のそばで車中泊してたんです。そしたら木村さんの娘さんが連絡くれて、今日お父さん帰ってくるんでいらっしゃいって言ってくださって。それで木村さんと2人で話すことができたんですけど、そのとき「僕、これまで一度も農業やったことないんですけど、やったことない人でもできますか?」って聞いたんです。そしたら「初心者の方が固定概念にとらわれないから、ぜひ、やってください」って言われたんです。それがダメ押しになりましね。だって「ぜひ、やってください」って言われたんですから
そのとき明珍さん33歳。まったくのゼロからの農生活のスタートです。
農業をやってみて……意外と自分に向いてるなと思いました。もともとスロウライフみたいなのは好きじゃなかったんです。どっちかというと生き急ぐというか、Too Fast To Live, Too Young To Dieの方だったんで(笑)。ただTo Dieが近づいてきたのでリタイアしたというか(笑)。パンクの人って何かと闘ってるイメージがあるけど、僕個人としては自然体でいたいだけなんですね。それが結果的に既成概念を壊すことになったのかもしれないけど。だから今は全然ストレスないです。すごく自然体。銀杏にいた頃のことを振り返っても「何だったんだろう、あれ?」みたいに思いますもん
そして明珍さんは自身の農園を開設する。こちらがそうである。
周防大島に移住して6年。引き続き農業には取り組んでいるが、明珍さんの役割は少しずつ変わってきた。
農業って栽培だけでなくて、収穫、パッケージ、輸送、宣伝……いろんな側面があるんです。いま僕はネットショッピングや宣伝など、だんだん友達の作った生産物を売ることの比重が大きくなってきてますね。でも、それはパンクカルチャーから来てるんです。パンクカルチャーには『ディストロ』っていう文化があって。パンクはメジャーな文化に対するオルタナティブな側面があるので、既存の流通を使わない感覚がベースにあるんです。既存の流通を使わないということは、自分たちであの手この手で商品を届けなければいけなくて。その中のひとつに『友達のCDを売る』っていう文化もあるんです。普通ライブハウスではライブに出てるバンドのCDを売ってるけど、本当にアンダーグラウンドなパンクシーンでは、全然関係ない人が自分で集めた知り合いのCDを普通に売ってたりする。で、そういう『ディストロだけやってる人』はライブ会場で別の音楽やってる人と知り合って、どんどん売るCDを増やしていったりして……僕はそういう文化をずっと浴びてきたので、それを農産物に適用してみた感じなんです
パンク用語で言うところの「シーンのサポート」。農協(JA)がメジャーだとしたら、こっちはオルタナティブ!? パンクのスピリットで農や食を変えていこうとする明珍さんたちの試みは、いま日本全国から熱い注目を集めてます。いやマジで、周防大島シーンやばいって!
たとえばこちら。年に一度の「島のむらマルシェ」は11/2(土)に開催。もうすぐですよ!
さらに中村農園の独自企画として「寄り道バザール」というイベントも展開。こちらはトークショーあり、音楽イベントあり、落語会ありの多彩なもので、こっちも11月にイベント開催。カルチャーも実りの秋なんです。
では、いま周防大島で農ライフを送る中で、明珍さんがシアワセを感じる瞬間ってどんなときなんでしょう?
大きく分けると自然バージョンと人バージョンの2つあって。自然バージョンは、基本ひとりで農作業やってて、すごいきれいな瞬間が時々あるんです。植物とか景色とか、いつも見てるはずなのに全然飽きなくて。面白い虫を見つけたり、木に登って落ちたり……生きてる感じがするんですよ。人バージョンは、人と一緒に何かをやって、それで周りの人が喜んでくれたときですね。この前『寄り道バザール』で落語会をやったんですけど、島のおじいちゃんやおばあちゃんが手を叩いて笑ってくれて、「これのために生きてるわ!」みたいなことまで言ってくれて。そういうの聞くと、なんともいえない気持ちになりますよね。僕は『みんなの笑ってる顔で泣いちゃう』みたいな感じなんです。だからバンドが好きなんですよ。何人かで一緒にモノや場を作って、それでさらにまわりが喜んでくれたら最高です
明珍さんたちの活動は過疎化が進む島の内部を元気づけつつ、外に向かっても発信する。内&外。見るとこちゃんと見てるんです。
僕、欲張りなんで両方に喜んでもらいたいんです。それが合わさったときが一番ヤバい現象になるんじゃないか、と。どちらもが楽しめる状態が一番風通しのいい状態のような気がするんです
あ、そうだ。バンド? え、バンドが好き? だってバンド大変で辞めたってさっき言ったばっかじゃ……(無視)。
バンドは売れてる売れてないにかかわらず、練習スタジオで曲作りする作業があって。もっといい曲にするため試行錯誤する2~3時間なんですけど、これが重要な作業なんです。で、それって普段の生活でも利用できるというか。新しいアイデアがほしいとき、みんなもスタジオに入って揉んでみるといいと思うんです。思いもよらない、いいグルーヴが出てくることもあると思いますよ!
結局バンドマンの魂百まで。いや違うね。明珍さんが今やってるのも全部バンドで、全部音楽ってこと。「農ミュージック、農ライフ」。ダジャレじゃなくて、この人はずっとパンクスを貫いてるだけだと思うんです。一直線。
ということで周防大島の引力に強烈に引き寄せられた今回の「文化系クリエイター会議」、ひとまず直近の目標として「周防大島会議」、ここで宣言しちゃってもいいですよね?
2019.9.24@HFM