天皇制がなくなったら
いまイタリアでは次期大統領を選出するための国会議員らによる投票が行われている。
中世以降、小国同士が権力争いしながら存続してきたこの地が、すったもんだの末、「王のもとに統一しよう」というよりは、「統一して一人の王を掲げよう」とまとまり、イタリア王国になったのは1861年のこと。
しかし、第二次世界大戦後、王家はファシズムに協力したと批判を受け、王政を維持するか?廃止して大統領をおく共和政にするか?大議論になり国民投票が行われることになりました。
そして国民投票で王政廃止派が勝利したため、イタリア王国はイタリア共和国となり、王様の位置に大統領がつき、大統領は王様のような仕事をすることになったのです。
この経緯を思うと、イタリアの大統領の存在意義がよくわかります。
実際、総理大臣の任命や
国会の召集
外国公使の接受など
形式的なお仕事をするシンボル的存在。
天皇陛下の象徴としてのお勤めと同じような感じですね。
ですが、
イタリアの大統領は
首相の任命権や
議会解散権を使って
政治の局面で大統領カード発動の可能性もあるので
まとまらない政治家をまとめるような役割も求められる存在です。
シンボル的でありながら、いざという時使えるジョーカーを持ち得る人を選ぶわけですから、そう簡単なことではない。
月曜に始まった投票は
有効得票率を得る候補者なきまま、今日で第4ラウンド目。
コロナの感染爆発中でもあるので
コロナ陽性者や濃厚接触者のためにドライブイン投票所まで設けられて行われている。
投票できるのは国会議員とイタリアに20ある州の代表などあわせて千人ちょっと。
おのおの大統領にふさわしいと思う者の名前を投票用紙に書いて投票。開票時は下院議長が用紙に書かれた名前をいちいち読み上げていく。
被選挙権はイタリア人なら誰でもあるらしく、時々、イタリアの五木ひろし的存在の歌手だったり、子どもでも知ってるパスタメーカーの社長の名前が読み上げられることもある。
そんな投票の様子を見ていたら、日本の天皇制もいつか後継者がいなくなったら、共和制をひいて大統領をおくようになって、選挙で選んだりする日がくるのかな?なんて思いがよぎった。
共和制では大統領を選べるわけだけど、選ぶってそう簡単なことじゃない。天皇制や王政ではその家に生まれ、そうなるよう教育を受けた方が選択の自由もなく担われ、国民の理想通りに振舞ってくださる。
世界を見渡せば、暴君のような王様が出現することもある。そうなったらクーデターでもしない限り変えられないという一面もあるけど、だいたいは立派な方々の継承で安定的に営まれてるような。
その国の象徴になるなんて、ほんとに大変なことだと思うけど、そうなることを生まれながら決められてしまってるって、それはそれは大変なこと。システム維持のために、我を無にして一生を捧げるってことですからね。
繰り返しになりますが、すべての人が認める象徴にふさわしい人を選ぶなんて、難かしいことだから、代々やってくださる方がいるなら、それが続けられればいいとは思うけど、だったら、もっと続けられるようにしたらいいと思うし、もっと続けやすいようにリスペクトされるべきだと思う。だって人なんだから。
イタリアの次期大統領選出の難航具合を見てたら、こんな想いに至りました。
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