課題本『モモ』
サブタイトルをつけるなら
~言えなかった本音と、今言う後悔~ です。
あらすじ:モモが時間泥棒から時間を取り戻す話
今回の読書会は今までで一番後悔をしました。自分の勇気のなさが、とても悔しかった。勇気。その理由を書きます。
色々なメンバーの集まりがあると思うけれど、一番私が好きなのは、年齢も性別も違う、普段なかなか話せない、それどころか読書会がなかったら会うこともなかった人との読書会です。
良いところは、あと腐れがないところ。決してマナー違反しても「もう会わないし!」という意味ではなく、解釈が違ってその時はちょっとムッとしても、終わって時間がたつと「自分と違った意見が聞けた!ありがたい・・・」とジワジワと嬉しくなったりするところです。
今回、『モモ』の読書会では、馴れ合い状態になってしまった。
①人数が(個人的には)多い8人で、一人あたりの発言時間が限られていた②それにより反対意見(少数意見)が言いにくい雰囲気だった。 ③私より一回り以上二回り未満の学生さん(初参加)がいて、大人特有の変な“守ってあげたい感”があった
私は正直『モモ』が苦手で、克服しようと3回以上は読みました。関連本も読みました。読むたび眉間のしわが増えていくのではないかというほど苦しみながらウンウンと。
だけど、何度読んでもダメなのです。理由は明白。モモが苦手。数字が読めず時間の感覚を持たない(それでいて住む場所や食べ物はもらっている)子どものモモと、日々時計と睨めっこしながら、朝起きて、仕事に行って、ごはんを作っている大人の私とは合うわけがない。
むしろ灰色の男たちに時間を盗まれてセッセセッセと働いている人のほうが共感できます。夢を叶えて人気者になったベッポに私もなりたいと思う。たくさんの人に必要とされているから。ただ、物語の趣旨の通り、心をなくしたままでは、生きてるって言えないよね。それは分かります。
セッセセッセと働く人への共感なくして「灰色の男は敵だ!」「時間を大切にして私は生きたい」と言うのはちょっと違うのではないかと思いました。
しかし、言えませんでした。まったく一言も。心を無くした町人の生き様は、私であり、私が批判されている気にさえなったのに。
帰りの電車の中ではため息ばかり。言えなかった不完全燃焼よりも「”こういう意見もある!”と、視野を広げるチャンスを奪った」ということ。賛同は嬉しいことだけど、それだけだと読書会の楽しさは半減。
別の読書会でカフカの『変身』が課題本のとき、主催者が「これ全然おもんない!もっと面白くできるでしょ、ってか朝起きて虫になってるとか短絡すぎ!!!」って言いだしたときはむちゃくちゃ盛り上がったwじゃあどこがどうなったら面白いんだろうなーと話し合いました。刺激的でした。
一冊の本に対してあぁでもない、こうでもないと愛ある批判ができる時間。馴れ合いではない、そんな読書会を私は目指します。
最後に『モモ』について。ラストに時間が戻った町の人たち。時間に追われる経験から、効率よく仕事をまわす方法を考えたり、学ぶこともあったと思う。だから最後の章のタイトルの通り「おわり、そして新しいはじまり」が楽しみ。私はこのタイトルがとても好きです。
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