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そんなの知らないよ……という言い訳

今のところ自分の周囲に火事で亡くなった人はいません。なのでその痛ましさの本当のところはわかりませんが、大切な人が亡くなったご家族の気持ちをどうにか想像することはできます。母の実家は宮城県名取市です。親戚一同が地震の大きな影響を受けましたが幸い死者はいませんでした。お亡くなりになった方とそのご家族、以降に起きた熊本や能登の地震やその他自然災害の……を想像することはできます。

身近にあった自分以外の不幸といえば……白血病で亡くなったいとこ、大学通学中に交通事故で亡くなった中学高校の同級生……何人かの方がいますが、小学5年のとき、心臓が弱くて亡くなった同級生のことを書きます。

彼は体育の授業は見学が多く、プールのときは「好きに遊んでいいよ」という時間帯だけプールに入っていました(3年4年は同じクラスでした)。体育が苦手だった当時の僕は「つらい体育の授業は免除されて、自由時間だけ入るなんてズルい」などと思っていました。今の自分はこう思っています。

なんて想像力に欠けた人間だったのだろう、と。

子供への虐待やペットの遺棄といったニュースを聞かない日はありません。親になってみないと、ペットを飼ってみないとわからない苦労というのはたしかにあります。でも「自分の身に起きていないことを想像できる」のが人間なのです。子供を作る、ペットを飼う、その前に最高の幸せと同時に最悪の事態も想像してほしいと思います(その考えすぎが出生率低下の原因では? というのはごもっともですが、ここではそれを問題にしていないことご理解ください)。

何かを注意されると「そんなの知らねーよ」「わかるわけねーじゃん」という人を時折見かけます。法律に違反する人でもいいですし、そこに至った事情を知らずに他人を貶める人=優先席に優先的に座るように見えないが、何らかの事情を抱えてそこに座っている人に席を譲るよう注意する人、太っている頭髪が薄い背が低いといった、人間関係が形成されていればネタにしても許される(かもしれない)身体的特徴を、そこに至った事情もしらず揶揄する人などが例でしょうか=などは、この発言で自ら「自分には人間としての想像力が欠如しています」と吐露しているようなものだと思います。

自分がこういう愚を犯したことがないとはいいません。でも、せめて「知らなかったこととはいえ、申し訳ありません。おっしゃる通りこちらの間違いでした」と(このまま言わないにしても)そういう気持ちを示すようにしたいです。

文字だけで終わらせるべき文章のような気もしますが、なんか味気ないので「想像」にひっかけて、ジョン……ではありきたりなので、「プール」と「ペット」で次の2曲を。スピッツ、ずっと聞き続けているバンドです。


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