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名前を(正しく)呼んで

自分の本名を明かさずに今回の記事を書くのは非常に難しいのですが頑張ってみます。

私の姓名、漢字で書くと姓も名も2文字、計4文字のよくある見た目です。その漢字の内訳をみると、全て小学校で習う字で、1年、4年、5年、6年配当というシンプルなものです(小学校で習う漢字は何年かに一回見直しがありますが、基本的に習う字も学年も大きく変わることはありません。現在1026字が配当)。

姓、つまり苗字ですが、このサイトで見ると全国に2800人いるとのこと。漢字を書き間違えられることもあるのですが、私がずっと苦しめられているのは「読み方を間違えられること」なのです(ここで「Aという字を書いてXともYとも読む苗字ありますよね」と例を挙げればわかりやくはなると思いますが、それはXさんにもYさんにも失礼なのでやりません。まだまだ文章力との挑戦は続く)。

間違えたほうで読んでも間違いじゃないので、あながち間違いとも言い難いのですが「〇〇さん郵便です~」のように、「それ以外何か読み方があるんですか」ぐらい間違ったほうで当然だろ、みたいに読んでくる人もいれば、フリガナをつけた書類を提出してあるはずの病院などでも「〇〇さん2番診察室へどうぞ~」などと言われます。私の苗字を「ab」だとすると「ba」とひっくり返して呼ばれることもあります。そうするとまあまあメジャーな苗字になります。

最悪の出来事の一つとして、登録されている読み方が違うので修正してほしいと連絡を入れたら「読み方はどっちでも契約自体に問題ないですよ」と言われたことは記憶されています(〇〇〇音楽教室から外注されている会計の会社でしたが)。人の名前を何だと思っているんでしょう。

想像できると思いますが、中学生・高校生時代は学年が変わり教師陣が一新されるたびにこれが繰り返されるのです。私の教員嫌いの根っこにはこれがあり、今の仕事にも通じていますが、それはまた別の話。

村上春樹さんの『1Q84』の主人公の一人、青豆(あおまめ)にこのようなセリフがあります。

三十年間の人生でいったい何度、同じ台詞(=「珍しいお名前ですね」)を聞かされただろう。どれだけこの名前のことで、みんなにつまらない冗談を言われただろう。こんな姓に生まれていなかったら、私の人生は今とは違うかたちをとっていたかもしれない。たとえば△△だとか、××だとか、□□だとか、そんなありふれた名前だったら、私はもう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。

村上春樹『1Q84』BOOK1〈4月ー6月〉
/途中のかっこ部分と記号部分は引用者による補足・改変

ここを読んだ時、ひざを打ちました。まさに「お前は俺か」です(←古いネット用語)。私は自分自身を非常に不寛容な人間と評しています。その一因にはこの「読み間違えられる姓」があると思っています。

読み間違える人の姓を確認します(名札などで)。おそらく読み間違えられた経験などないんだろうなあと(途中で変わった可能性もあるし、目に見えてよくある姓がそうではない読み方である場合もあるのであくまで想像ですが)思ってしまう、そんな不毛なことの連続でした。

「今の時代、姓も変更可能じゃね? そんなに嫌なら変えればいいじゃん」みたいな軽々しい反論は一切受け付けません。変更可能であることと、実際にそれを実行に踏み切ることの間にある深い深い谷を理解してほしいです。私はそれを実際模索した時もあるのですが、権威や伝統に勝てませんでした。

国防でも経済でもオリンピックでも万博でもNHKでもありません。「姓についてきちんと考えている人に投票する」、このことだけは私は選挙権を得てから一貫しています。


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