The Rolling Stones live in Madrid 1982 / コンサート幻視
ローリング・ストーンズは、1981年の全米ツアーの翌年、ヨーロッパツアーに出た。
この1982年の春だったと思う。大学生の私は、スペインに行こうか行くまいか、迷っていた。ストーンズ、マドリード・コンサートである。
すでに、日本のファンクラブから、公演が組み込まれたツアー参加の募集通知が届いていた。
70年代から80年代、彼らのカリスマ性は今日とは比べものにならないくらい大きかった。音楽には不案内な私でさえ、FEN (駐留米軍の極東ラジオ放送網)で“Satisfaction”が流れてくると、受験勉強の手を休め、聴き入ったものだった。
1982年、このチャンスを逃したら、彼らの姿を拝むことは一生できない。本当にそう思った。バイトで貯めた全財産をつぎ込めば、彼らに会える。
ところが、私は渡航を取りやめてしまった。その頃、人並みに就職、学業、恋愛といった悩みを抱えていて、些細なことがきっかけで不覚にもメンタルの不調に陥り、総てに意欲を失ってしまったのだ。お坊っちゃまの自滅。
当時、ストーンズは大麻問題で1973年の日本公演が中止になるなど来日は難しく、本物を見るには海外に出向くしかなかった。したがって、国内では映像鑑賞が唯一の手段であり、ファンクラブが主催するフィルム・コンサートが、かろうじて渇望感をまぎらわしてくれていた。
その後、80年代終盤、メンバーのロン・ウッドやミック・ジャガーの単身来日がかない、大阪で二人の勇姿に接することができた。グループのコンサートは、1990年以降、東京、横浜、名古屋で体験した。国内で堂々とストーンズの音が体験できるようになったのは、まことに喜ばしい。
しかし、である。私は、1982年のストーンズを体験したかったと悔やむのである。日本に来られない、そして、1969年のブライアン・ジョーンズ喪失の痛手をまだひきずっているような(あくまで私の個人的印象)彼らのパフォーマンスを見たかった、と後悔するである。
1982年7月7日のマドリードでは、ミックがレインコートを着て歌っている。悪天候の下、またカラフルな風船がフワフワ飛びかう中、メンバーはやりにくそうだが、“Under My Thumb” がスタジアムに響き渡る。少し健康的になったが、それでいて妖しく危険な、紛れもなく80年代のストーンズである。
私は、スマホで見る、小さくてぼんやりした映像の群衆の中に、若き日の自分の姿を空しく追い求めるのである。