60歳になりまして
先日60歳になった。60歳といえば還暦だ。
還暦といえば赤いちゃんちゃんことベレー帽(というかあれ、なんていうんだろう?)である。
自分のなかに白髪のヨボヨボのおじいさんやおばあさんが赤い衣類を着ていたような記憶があったので、もしかしてあの赤い2点グッズは米寿の祝ではないかと思って調べてみたが、やっぱり還暦だった。
赤い2点グッズを買ってもらった人々はどうしているんだろう。たぶん一度しか着ないだろうし、お祝いの品なので人にもあげられないし、メルカリでも売れそうにない。きっと押入れの奥深くしまいこみ、70歳くらいの断捨離時に見つけて廃棄する、ような気がする。
などと思うと赤い2点グッズは買えないし、そもそも自分で買うものではない気もするので、スルーした。しかしせっかくの干支一回りであり、癸卯であり、区切りでもあり、体調を崩しがちな昨今でもあるので、なにがしか、めでたいもので縁起を担ぎたい気がするではないか。ということで、近所のデパートに赤いものを買いに行った。
ナニカ赤いもの。どうせなら日常的に使える赤いものがいい。毎日「ああ、60歳になりましたね、おめでとう」と、それを見ては思い出せるようなものがいいなと思った。毎日見るものといえば財布だが、わたしの財布はすでに赤い。
以前、盛大な無駄遣いが好きな母が「赤い財布を買うとうれしくなったお金がどんどん出ていくから貧乏になる」と言っていたのだが、実際には心持ちだろうと思ったわたしは55歳のとき「無駄遣いは絶対にしない!」という決意のもとに赤い財布を買った。それから5年、とくに食べるものに困るような貧乏生活はしていないので、赤い財布=貧乏説は嘘だったのだろう。母よ、自らの無駄遣いを財布のせいにしてはいけないよ。
ナニカ赤いもの。下着売り場にビクトリアシークレットのカタログにあるような美しいレースがついている赤いショーツとブラジャーのセットが売っていた。素材はシルク、少しだけ心が騒ぐ。下着、いいかもな。
しかし赤い下着は薄い色の上着を着ると透けてしまう。白いパンツの下から赤い下着が見えたらどうだ。挑発を通り越して「オバサン、透けてますよ」などと道ゆく人に言われかねない。しかもシルクだ。絶対におしゃれ着用洗剤などで洗わずに、フツーの石鹸で洗ってしまってすぐに色あせるだろう。色あせた赤い下着ではめでたさも色あせてしまうではないか。
ではジャケットやパンツはどうだろう。しかし赤とひと言で言うが、日本には朱だの猩々緋だの茜だのといろんな赤があり、自分の好きな赤の服はなかなか見つからない。そう言えば派手好きな母が真っ赤な皮ジャケット(色はカーマイン)を持っていたなと昔のことを思い出した。
彼女はうまく着こなしていたが、わたしはカーマインがキライだったし似合わなかった。着るなら茜色だ。そういう赤を売っている店はなかった。
ナニカ赤いもの。何も見つからないのは自分の身の周りにすでに赤いものが多いからではないかと気づく。ショッキングピンクのメガネケースとか、ピンクのカバンとか赤いマグカップとかジョギングシューズとか、わたしは身の周りをすでに赤で固めていた。わたしはそもそも赤が好きなのだった。
なんだ、最初からめでたいではないか。ことさらに赤で自分を祝わずともすでに自分を祝っていた。んじゃまあ、とりあえず買わなくてもいっか。
一日デパートをうろうろして「お祝い」名目の無駄遣いができなかったのが悔しかったので、明治屋でちょっと高価ないちご(赤)を買って帰った。還暦祝いを一気食いし、めでたさと縁起を体内に取り入れ、自分的還暦終了。いい還暦祝いでした、まる。