その3 〜生かし、生かされる〜
どうもボクです、ホンショウです。
前回の書きモンの中にて一文つづりましたように、
島根スサノオマジックのアリーナMCを昨シーズンをもちまして
7シーズン務めあげました。(複数人で1シーズン、1人で6シーズンとなります。)
「よく穴空けないよね」
「なにかあったときどうする??」
長年1人でやってますもんで、よーくこういったお声をいただくんですが、本当これまで1ゲームも休んだことはございません。
寝坊はあります。ちゃんと間に合う寝坊です。
僕は"プロ"としてやらせていただいて、この役割は自分しかいない。
僕がここにおらんかったらどうなる?という責任感が常にある中、
僕の変わりがいつ出てきてもおかしくないという気持ちも常に胸にあります。
シーズン中はマスクをしたり、
イソジンうがいをしたり、
イイのど飴を常に持ち歩き舐め舐めナドナド…
風邪を引かないように努めております。
お酒も大好きですが、酒焼けしたこともないです。
(喉にいい方法などあれば教えてください)
でも実際何回かヤバかったことがあるんです。
今回はそれについてつづります。
まずひとつめ。
土曜日がナイトゲーム。日曜日はデイゲーム。
これが2季くらい前までのベーシックな形で、土曜ゲームが終わったあとなんやかんやして帰宅するのは23時とか0時とか。
日曜は8時に現場入り。
寝たいけどアドレナリンで寝れないし、
寝れたと思ったら一瞬で朝が来る。
試合がある土日は結構ハードだったんです。
もういつのシーズンだったか記憶は曖昧ですが、
土曜のナイトゲームが終わりなかなか寝付けない夜をやり過ごし、
翌朝起きてみたら乾燥で声が出ない。
裏返る。
また翌年は、なーんか身体ダルいなみたいな体調で土曜ゲームをこなし、
迎えた日曜の朝。声が出ない。
裏返る。
年に1回、2年連続であったんですよ。
声が出ない→休む
…そんなわけいかない。
もうアガきますよね。
のどスプレー・のど飴しこたま買って用法容量守らず、
"スプレーシュパシュパ"
"のど飴舐め舐め"
それでも快方しないから
フード屋台の調理場に行って、紙コップにサラダ油を入れてもらい
〈胃カメラ前の麻酔〉みたく、
喉に油を溜める(想像してください)
この《サラダ油のど溜め》が意外と効くんですよ。(本当かや)
これで年に1回の危機を2度、なんとかのりきることが出来ました。
ベストコンディションでなかった日はこういった日も含め多々ありますが、病欠はありません。
そしてもうひとつ。
愛する母上さまがお星さまになってしまったときです。
元々バスケットをしていたゆえ、
バスケを観るのは好きでよく試合会場に足を運んでいた母。
「今日行くから!」
そんな事前のお知らせや、やりとりは毎回ではなく、
仕事中の僕の視界に急に現れることもあり、
(…あ、今日も来てるんかw)みたいに思うこともしばしば。
それも嬉しかった。
そんな母上が病を患いました。
生還することを約束したにもかかわらず、
入院して2ヶ月くらいで旅立ってしまいました。
母上が闘っていた病室にはスサノオの試合結果や特集、
僕が取り上げられたときの新聞がありました。
「本田さんは看護師たちに、
『これウチの息子なの。こうやってたくさんの人を楽しませる仕事をしてる姿を見れて私は幸せ。必ず治してまた会場に行く。』
…そうおっしゃられてましたよ。」
看護師さんが教えてくれました。
葬儀の日が土曜でした。
" 行きなさい。みんな待ってるよ。"
母上はきっとそう言ってる。
僕はそう思ってたし、
父上も背中を押して送り出してくれました。
その日の会場は出雲浜山カミアリーナ。
松江なら10分で着くけど、カミアリーナは片道1時間半くらい。
着いたのはトスアップの約30分前。
そしてその日は延長にもつれ込む激戦をモノにしたとんでもないゲームでした。
そのシーズンの終わりに誰かが言ってくれました。
「あのゲームはホンショウのお母さんが勝たせてくれた」って。
ありがとう、母上さま。
きっとこの日の僕を生かしてくれたのも、
間違いなく母上でした。
いつ、なにが起きるかわからないこの世界で、
それでも7シーズン、MCをさせていただいている環境に感謝をしています。
みんなの声、クラップがあるから僕の声も生かされています。
生かし、生かされあってるんですね。
ああ、
今日もビールが美味しいです。
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