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経歴の話①月経困難症、卵巣内膜症で病んで退職した一年目~ただの苦労語り
生理の話を大っぴらに話しているので、不快に思う方はご遠慮ください。
私は自分の生理について周囲に相談できなかった経験があるからこそ、積極的に話そうと思っているタイプです。
生理で悩んでいる方や似たような経験がある方が居たら、勇気づけられればいいなと思って書いています。
最も苦しかった社会人一年目
サービス業に新卒入社
新卒で入社したのはとあるテーマパーク。実家は埼玉ですが、わざわざ地方へ引っ越したのです。
アトラクションを動かすスタッフと、コールセンターの業務の兼任でした。多くの新卒がアトラクションスタッフに配属される中、コールセンターは中途社員メンバーに囲まれて新卒ひとり。それはそれで表も裏も経験できたし、どこに行っても可愛がられて楽しかったです。
アトラクションのほうは同期2人と同じチーム。最高の友達ができました。ですが5ヶ月で退職。今考えると思い切ったな笑 でも、限界でした。
最大の理由は月経困難症
人生初の婦人科 まさか自分が婦人科へ行くとは
入社して2か月ほど経過したころ、自分の経血の量が異常に多いのではないか?ということ、月経痛が人よりもひどいのではないか?ということに気づきました。
あくまでも知識を付けた今になって思い返せば、ですが、大学4年生の初めからおかしかったのです。生理が来ると下腹部がキリキリと痛んで、授業どころではありませんでした。性交痛もひどく、初めてできた彼氏との初めてのセックスは本当に地獄でした。ずっと痛がっていて、彼も不安だったと思います。本当に申し訳なかった。
母に強く勧められて人生で初めて婦人科に行ってみると、月経困難症、卵巣内膜症、チョコレート嚢胞などの症状が。食事をとろうにも、口に入れた食べ物はものすごいスピードで下痢となって排出されていたのですが、これは子宮や卵巣がはれ上がって内臓の位置がおかしくなっていたことが原因だったそうです。
一人暮らしをしていましたが、痛み止めなしでは生活できず、とてもまともな生活を出来る状態ではなくなりました。
今でも思い出すと涙が出てくる、トラウマ級の痛み
月経痛は気を失いそうになるほど。家にいる時は一日中寝たきりで、名探偵ピカチュウのこのシーンみたいになっていました。(当時は痛すぎる状況を紛らわすため、本当にこの画像をひたすら眺めて過ごした)
![](https://assets.st-note.com/img/1739344628-IGiABQevM49hkC8Ugbo5Z2sX.png?width=1200)
痛み止めを飲んでも痛いので、ならば別のところで自分を痛めつけて腹部の痛みをなくせばいいんだ!と思い、真夏の炎天下でもホッカイロを腹と背に一枚ずつ貼り、ヒートテックを仕込んで現場に出ていました。
どう頑張っても血が足りないほどの多量の経血
そして、現場と内勤(コールセンター)の兼務が地味に体に応えて。。一日のうちにパーク内からオフィスへ異動して勤務をする日は地獄。壊れた水道管みたいに血が出続ける子宮では、長くても一時間ごとにナプキン(多い日の夜用)を替えないといけなかったので、歩く量が増える増える。歩くのは激痛。立つのも激痛。座るのも激痛。平静を保つことでやっとでした。
無意識のうちに忍び寄るPMS
PMSもそれももうものすごかったです。これもあくまで、今振り返ればそうだったなと分かります。
生理前になると普段気にならなかったことも気になってイライラ。
ちょっとしたことで感情の起伏が大きくなり、モノにあたっていました。
そうしてぐちゃぐちゃになった部屋を見てうんざりしてまたイライラ。
家族や友達や当時のパートナーにも迷惑をかけて、そんな自分が嫌で、どんどん自尊心は奈落の底まで落ちていきました。
ある時限界に
健康な体なら気にしなくて済んだかもしれないけど、限界の心身には仕事で受ける些細なストレスも応えまくって、退職に至りました。
何より母が、そんな体で働くなと苦しむ私の姿を見て泣いていて、辞めなきゃ逆に親不孝だなと思いました。
9月頃、まだまだ暑くてセミが鳴いていたと記憶していますが、退職に至りました。
でも次の仕事は決まっていた
実は「実家に戻り、慣れ親しんだ土地であれば、こんなに月経が辛くても働けるだろう!」そう甘く見ていたので、働きながら転職活動をして次の仕事を見つけた状態で退職しました。
このころは本当に月経困難症を甘く見ていたので、前向きな気持ちで次の会社で働けること、また関東に戻れることが嬉しかったですね。呑気。
低用量ピルで月経困難症の治療を続け、あの頃より大人になった自分が思うこと(ピルありがとう)
私の転職人生、月経の話無しでは語れないため、今の自分から見た振り返りを。
はじめて婦人科に行って、その場で月経困難症の治療のために低用量ピルを処方されました。
あれ以降5年ほど飲み続けている低用量ピル。症状に合わせて種類を変えたことはあるけど、ほぼ毎日欠かさず飲んで、症状はかなり軽くなりました。PMSはいまだにひどいので、お守りのために飲み続けています。
今思えば真夏の炎天下で長袖ヒートテックとホッカイロ二個は異常だし、あの頃我慢していた私には、我慢しなくていいんだよ!と言ってあげたい。
PMSについても同様。今は、「あーなんかイライラする、、この時期ってことは、PMSか。まあ出来る範囲でおとなしくして、好きなお菓子でも食べて自分を甘やかそう。」と、深呼吸して心を落ち着かせることが出来ます。それが出来る範囲の最善の策だという答えを導き出せたからです。
それもこれも低用量ピルのおかげ。月経の時期を自分で把握しやすくなるので、心の安定が生まれました。
次回、2か月で退職したベンチャー企業の話
自分の月経困難症のやばさを認めようとせず、呑気にワクワクと入社した都内のベンチャー企業は超絶ブラック!
メンヘラ世間知らず女子、どうなっちゃうの!?
ということで次回につづく。