母がいた-39
先日、友人の買い物に同行した。友人はガンダムのプラモデルが欲しかったらしく、福岡で比較的多く取り扱っているお店に行き、お目当てのガンプラを入手していた。
僕はというとこれまでガンダムを通ってこなかったので、陳列されている完成品を見て「かっけー!」「かわいー!」などとはしゃいでいただけなのだが。
ガンプラを見ていて思い出したことがある。もちろん母について。
母も僕と同じくガンダムを見てこなかった人だった。アニメは結構いろいろ見ていたから、多分ロボットものにあまり興味をそそられなかったのだろう。
そんな母が両足を失ってしばらく経った頃の話だ。当時我が家ではパグの「こはる」を飼っていて、まだ幼いこはるはそれはもう元気に家の中を駆け回っていた。床に、テーブルに、トイレまで走り回ってはいろんなものを倒すのだ。
そのテリトリーには母の使っていた介護ベッドも含まれていて、母がいようがいなかろうが構わず飛び乗っては縦横無尽に飛び跳ねる。
母はそんなこはるに足を踏まれることを恐れていて(何度か踏まれて「痛い!」と言っていた)、なんとかこはる防御策を練ろうとした。
まずは飛び乗ろうとしたら叱るというシンプルな対応。効果はなかった。むしろ呼ばれていると思ったのかよりハイテンションで飛び乗っていたように思う。
次にベッド柵でこはるの侵入をガードする方法。これはうまくいったのだが、ものぐさな母なのですぐに柵をセットすることを忘れ侵入されていた。リビングで「あああ!わすれた!」と悲鳴をあげているのを何回か聞いた覚えがある。これも結局長続きせず。
そうしてさまざまな対策を講じていた母に、ある日100均に連れて行ってほしいとお願いされた。
何か欲しいものがあるなら買ってくるよ、と申し出たが「いや、試着が必要だから一緒に行く」と言う。
試着?100均で?と不思議に思いながらも母を連れてお店に到着した。母はスイスイと車椅子をこぎ、目的のコーナーへ到着した。
「ゴミ箱・収納ケースコーナー」と書いてある。
ゴミ箱や収納なら家にたくさんあるのにな、と思っていると、母は突然近くにあった円柱型のゴミ箱を手に取り、足にスポッとはめた。
「えっ、なに、なにしてるの」と驚く僕に、母は「これでこはるをガードする。もう残された策は物理的防御しかない!」と告げた。
あっけに取られている僕を放置して、母はさまざまなゴミ箱を足にはめては「フィット感が足りないな...」と真面目に検討している。
結局母はゴミ箱をふたつ購入し、ホクホク顔で家に帰った。「あとは試すのみ」と言いながら。
そしてゴミ箱ガード戦法が実践投入された結果、それは驚くほど効果的であった。木目のプラスチックで作られたゴミ箱は母の足を見事に守り切り、こはるの猛攻を耐えてみせたのだ。
「これは革命だよ!200円の革命!」と小躍りしながら喜ぶ母を見て、「したたかだなあ」と感じたのを覚えている。
そんな母はそのふたつのゴミ箱をいたく気に入って、寝る時も足にスポッとはめていた。その頃から絵が好きだった僕に頼んで、好みの柄をポスカで書き入れたりしながら。
日に日にカスタマイズされていく「こはるガード」をつけた母は、いつからか「ロボットみたいなのでこれをつけている時はガンダムふみちゃんです」とわざわざ自己紹介までしてくれた。
ガンダムふみちゃん爆誕の瞬間である。
ガンダムふみちゃんの機能は次々に追加されていき、あのなんていうんだ、あの遠くの物を掴むアームみたいなおもちゃ。あれを装備してベッドからテーブル上のお菓子を取ったりしていた。
結局ガンダムふみちゃんは最後の入院を迎えるまで現役であり続け、惜しまれつつも(僕の絵でやたらカラフルな)ゴミ箱はその役目を終えた。
母は何かを前向きに楽しむ才能をもっていた。もちろん本人の努力や意識改革もあったとは思うが、それらを差し引いても物事をポジティブにとらえる術を知っていた。そういうところは今でも見習いたいなと思っている。
友人が買い漁るガンダムを見て、そんな話を思い出した。母の思い出はまだまだ尽きそうにない。
ゴミ箱を装着して
ガンダムふみちゃんに変身し
不自由を楽しんだ
そんな、母がいた。