母がいた-20
昨日、僕が中学生までを過ごした町に行った。十数年過ごした町はやはりどこを見ても懐かしく、ああここのコンビニで母のタバコを買っていたなとか、この居酒屋さんの提灯はまだ破れたままなんだなとか、そんなことを思った。
新しくできているお店や建物も多くあったが、やはり残っているものへの気持ちの方が大きく、懐かしさを感じる。そんな町の隅にぽつんとある町中華で、夕飯を食べた。日焼けして薄くなった看板と、室外機の上に置かれたお客さん用の灰皿が懐かしい。
僕はここの酸辣湯麺が好きだ。酸味と辛味のバランスが絶妙で、最後まで飽きずに食べられるさっぱりとした味。タケノコのシャキシャキとした食感も、ふわふわとした卵の優しさも欠かせない。少しちぢれた麺がとろみをおびたスープによく絡んでするすると食べられる。後半には酢をおもいきり回しかけ、むせそうになりながら一気にすする。ああまた食べたくなってきた。
このお店には、家族でよく夕飯を食べに来ていた。母はいつも青菜の炒め物と、エビチリや青椒肉絲、麻婆豆腐を注文していた。僕は小さいころから辛いものが苦手だったので、油淋鶏やレタスチャーハンを食べていた気がする。
母はとても料理上手だったが、それ以外にも特筆すべき特技があった。飲食店のメニューの中で美味しいものを見抜くことだ。僕ら家族はそれを母の愛称にちなんで「ちゃんこレーダー」と呼んでいた。(母はちゃんこと呼ばれていたので)
初めて行った居酒屋でも、店の壁に貼られたおすすめメニューの看板やランキングには目もくれず、全品記載のブックメニューに一通り目を通し「コレとコレとコレがおいしそう!」と指さしていく。
僕らは既にちゃんこレーダーを信用しているので、口を挟まず店員さんに注文を済ませて大人しく待つ。そうして運ばれてきたものを口に運び、また改めて母の力を思い知る。うまい。不思議だがなぜか絶対うまいのだ。写真も載っていない、メニューの隅っこで存在を主張しない一品を母は鋭く見つけ出し、僕らの舌を喜ばせる。
はじめこそ僕や姉が「これも美味しそうじゃん」とか「おすすめに書いてあるよ」とか言って追加で頼んだりもしていた。ただそれらは良くも悪くも普通だったり、あんまり美味しいとは言えなかったりで、母が「それみたことか」という顔をする。そんなことが続いたので、結局僕らは注文を全て母に任せるに至ったのだった。恐るべしちゃんこレーダー。その目は何を映しているのか。
母が前情報なく頼んだメニューについて、お会計の際に「これがおいしかったです」と伝えると、店員さんが「店長の自信作なんですけど、あまり注文されないんですよね。よくわかりましたね」と言われることが多々あった。あれはもう一種の超能力じみた何かだったと今でも思う。
ただ、僕はどうやらちゃんこレーダーの能力を一部受け継いでいるらしく、なんとなくだが美味しそうなメニューがわかる。ただ母のような精度はなく、打率は7割強、というところだ。あの美味しいメニューを撃ち抜く飲食界のスナイパーになるにはいったいどれだけの研鑽と知識量が必要になるのだろうか。いつか「ですけレーダー」を搭載した完璧スナイパーになりたい。
小さな町中華の酸辣湯麺を思い出しながら、そんな記憶が蘇ってきた。ちなみに酸辣湯麺を僕におすすめしてくれたのも母だった。悔しい。いつか自分の目で美味しいメニューを発掘してやろう、と思っている。
特殊な眼を持ち
的確に「うまい」を見抜く
そんな、母がいた。
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