母がいた-40
「産めるわけないじゃないですか」
妊娠したと知った時、母は医師にそう告げられたそうだ。母は当時31歳。すでに持病の病状はあまり芳しくなく、日常生活を送る程度であれば問題ないものの出産の負担には耐えられないと判断された。
「万が一命をかけて産んだとしても、かなりの高確率で障がいを持って生まれてくると思われます。足がないかもしれないし、目が見えないかもしれません」と続けた医師は、本当に出産させるつもりはなく、悪意は一切なくあくまで担当医師として冷静に判断を下していた。
一通り医師の話を聞いた母と父は、落胆しながらもどこか「そうだよな」と思っていたらしい。はじめからすこし諦めていた。母の病状を知る人であれば、みんな同じように感じただろう。
そんな中で受診した別の科で、ある医師から「ちょっとまってください」と声がかかった。
「産めるかもしれません」
「諦めてしまうには早いです」
その医師は、自身の人脈をフルに活用して母の持病を患いながらも出産を経験した先例を洗った。母と父はその医師の話を聞くうちに、「もしかしたら本当に産めるのかも」と希望をもつようになっていく。
「障がいがあっても、産みたいな」
「どんなこどもでも、愛したいな」
母はそう言って、お腹をさすっていたらしい。
結果、前例の非常に少ない出産として大学病院で学者や医師に囲まれての帝王切開が行われることになった。
産後の母体の生命維持と、胎児に四肢欠損や心停止など異常があった場合の対処・蘇生措置に万全の体制を敷いて、帝王切開が行われる。
そうして、僕が生まれた。
父が駆けつけた時、母は泣き笑いの顔で
「手も、足も、あるよ。」と言った。
本来であれば、到底産めないと思われていた命がうまれた。産んでくれた。母が今の僕とおなじ32歳の時のことだった。
先日、父からそんな話を聞いた。
一緒にお酒を飲んでいる時のことだった。
知らないことがまだまだたくさんある。
おかんはやっぱり破天荒だな。
今の僕には、とてもじゃないがそんな覚悟は出来そうにない。母はどんな気持ちで産むことを決めて、どんな気持ちで僕と向き合ったのだろう。
これからもたくさん知らなかったことを知って、母と向き合っていくんだろうな。今度は僕の番だ。母と向き合って、これからも生きていく。
産めないと断言された子供を
諦めずに本当に産んでしまって
僕に人生をくれた
そんな、母がいた。