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母がいた-32

なんだか久しぶりに朝早く目が覚めた。お腹がすいていたので、ご飯を炊いて母の遺影に供える。遺影を見ていて思い出したことがあるので、忘れないうちにここに書いておこうと思う。ちなみに朝ご飯はカリカリベーコンエッグ(黒胡椒多め)と小松菜のお浸し、海苔の佃煮だった。うまい。

母が他界した際、遺影をどれにするか、という話になった。突然亡くなったわけではないので僕ら家族はそれなりに覚悟と準備をする時間があり、遺影の候補をいくつかまで絞り込んではいたけれど、決めかねていたのだ。

結局、以前写真館で撮影してもらっていた黒のドレスに満面の笑みの母の写真が選ばれた。ショートヘアで髪を立たせた母が写っている。ただ、なんというか少しシンプルすぎる写真だった。遺影というより宣材写真のような。

そこで、葬儀会社の方と話し合い、アクセサリーを合成してもらうことにした。ご存じだろうか、遺影を作成する際に肌を補正したり服の色を変えたりアクセサリーなどの装飾品を合成してもらったりと、Photoshopさんが大活躍することを。

母はあまりアクセサリーをつけない人だったこともあり、会話は何を合成してもらうか、という会議に発展する。キラキラした宝石が良いか、それともシンプルな金属系にするか。そんななか葬儀会社の方から「真珠の首飾りはどうですか?」と提案された。真珠。丸くてコロコロしたやつ。いいな、母によく似合いそうだ。僕たち家族は満場一致で真珠を選択した。

それから少しして、お通夜の準備中に葬儀会社の方から電話がきた。合成が終わったのかな、と思い電話をとると「あの….」となんだか口ごもっている。どうしたんだろう、渡した写真になにか不備でもあっただろうか。

葬「その….お母さまの真珠のネックレスですが….」
ぼく「はい、なにかありましたか?」
葬「えっと….合成は完了したのですが、お母さまのお首が….」
ぼく「え、首ですか?首が何か」
葬「その、いただいたお写真ではお首が短くていらっしゃいましたので、あの、ネックレスというより、えっと、首輪のようになってしまいまして」
ぼく「首輪」
葬「ええ、首輪です」
ぼく「首輪」
葬「首輪」

このあたりで僕は笑いを堪えきれなくなり、ひとしきりゲラゲラと笑ったあと「首輪のままでいいです」と返事をした。葬儀会社の方はどうやら怒られると思っていたらしく、安心した様子だった。

そのことを父と姉に伝えると、2人もしこたま笑ったあとに「お母さんらしくていいね」と言って、3人で少しだけ泣いた。

お通夜の会場に飾られた母の遺影は、確かにネックレスというより真珠の首輪をしていた。首が短すぎて、みちみちになっている。それを見るたび僕ら家族は少し笑った。亡くなった後も家族を笑顔にしてくれる母はすごいな、と思った。

今もその写真は我が家に飾られている。
さっきご飯を炊いて笑顔の母に供えた時も、
真珠がみちみちになっているのを見て、
少し笑って、母に会いたくなった。
母は写真を見たらなんて言うだろうか。
「あー!ふみちゃんの首が!みちみち!」
とでも言って、一緒に笑ってくれそうだ。

首まわりがもちもちで
遺影でも家族を笑顔にする
そんな、母がいた。

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