母がいた-37
先週、盛大に体調を崩した。止まらない咳、39.2℃まで上がる熱、体の節々の痛み、と体調不良症状のオンパレードだった。流行り病ではなかったことが不幸中の幸い(高齢の父と同居しているので)だったけれど、普段あまり体調を崩さない僕としては大変にしんどい数日間だった。
熱にうなされて当然食欲も全くない僕が、唯一食べ続けられたものがある。
それは桃の缶詰だ。白桃の。あの半分にカットされたやつ。シロップ漬けの。僕は小さいころから体調を崩すと桃の缶詰しか食べられなくなる。それとポカリ。血糖値が大変なことになりそうだけれど、受け付けないものは受け付けないので仕方がない。
誰しも「風邪をひいたときに出てくるやつ」があったと思う。おかゆだったり、すりおろしたリンゴだったりだ。我が家ではそれが桃缶だった。
小学校低学年のころ、同じように風邪をひいたときのこと。僕はおでこに冷えピタを貼って、リビングのソファで横になりながら「笑っていいとも!」を観ていた。学校を休んで観るいいともの面白さは異常。あの優越感なんなんだろうね。
話がそれた。そうしてうだうだしている僕のもとへ母が近づいてきて、手をすり合わせながら「旦那、例のブツがありますぜ。食べやすかい?」と子悪党っぽく聞いてくる。僕は「実物を確かめねえとな。持ってきな」と親分っぽく返す。
そうして運ばれてくるのが、桃缶だった。目の前で母が「へっへっ」と笑いながら缶切りでキコキコと外周をなぞり、ぱきゃりと音を立てて蓋が開くと、中からは白く輝く甘々の真珠がお目見えする。
母はそれを丁寧にカットしてくれて、ケーキフォークで刺して食べるのにちょうどよい大きさで再度提供される。普段はそこそこ厳しい母も、風邪をひいた日は激甘だったので僕はそれを堪能していた。していたのだが、大人になるまで気付かなかったことがある。
僕が二十歳になるかどうかくらいのころ、これまた風邪で寝込んでいた時の話だ。その時は家に誰もいなかったので、僕は桃缶とポカリを買いにスーパーへ行った。小さいころから見ていた桃缶のパッケージを見て安心する。
家に帰り、缶切りで蓋を開けて僕は驚いた。
多い。内容量が多いのだ。想像よりもずっと。
え、もっとちょっぴりじゃなかった?と思いながら中身を出してカットしていると、やはり多い。多いというか、想像の3倍くらいある。
これはもしかしなくてもあれだろうか、僕に提供されていた桃の量が本来の3分の1程度だったということなのではないか。
そしてあの母のことだ、残しておいて次のタイミングで、などということではなく、普通に3分の2は自分が食べていたのではないか。
悔しいとか怒るとかよりも、母の食い意地の張り具合に笑えてくる。高熱も相まってひとりキッチンで笑いながら崩れ落ちてしまった。だって熱出してる我が子に甘い顔で桃缶を提供しておきながらその2倍量をひとりで食ってたってことでしょ?笑うわそんなもん。
それ以来、桃の缶詰を食べるたびに「やっぱ多いよな」と思ってしまうようになった。僕を甘やかしていたように見えて、その実自分が桃缶を食べられるから喜んでいただけなのだ。それが面白くてちょっと元気が出ている節もある。
そんな話を、熱にうなされながら思い出した。
これ書きながら改めて母の食い意地やばいと思う。笑うて。
甘い顔をして
ただ自分が桃を食べたかった
だけかもしれない
そんな、母がいた。