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母がいた-閑話

なんと。なんとなんと。「母がいた」を書き始めて約半年。気付くと記事の数が50本を超えていた。すごいな。思えば遠くへ来たものだ。あっという間の半年間だった。何かを継続することが苦手な僕としては、これは成果といって良いものだろう。よく続けたな、えらいな僕。褒めよう。自分を。

そんな僕は先日誕生日を迎え、ありがたいことに友人に囲まれてお祝いまでしてもらえた。33歳になりました。これからも幼児退行マスターを目指し邁進してまいる所存です。33歳児、推して参る。

さて、そんな誕生日お祝い会。最近お手伝いさせていただいているバーで「バースデー営業」というものをさせてもらったのだが、そこがまあ結構な量のお酒を飲む場であった。飲まされたとかではなく自分からすすんで飲んでいたので、誰も悪くない。僕が楽しくなってかぱかぱ飲んでいた。

そうすると出来上がるのはまあ当然ペロペロの酔っ払い。僕はあまり記憶をなくさないタイプで、翌日もしっかり思い出せる。思い出せるのだが、それは忘れないというだけであって、めちゃくちゃに酔っぱらっている間はまあ結構な奇行や大声での支離滅裂な発言などがみられるようになる。いっそのことその辺は忘れてくれと思うこともあるが、まあ覚えているので仕方ない。

ここで何が言いたいかというと、普段は一応「大人」をやっているつもりの僕が、相当に酔っ払うと人前でちょっとした「幼児退行」をしてしまうということだ。

人の目が気になって仕方がない僕は、日ごろあまり人に弱みを見せない。なんとなく「しっかりした人」でいたい意識が働いてしまうのだ。実際にしっかりした人に見えているかはここでは考慮しないものとするけども。

そんな僕が、ある一定ラインを越えてお酒を飲むと割とすぐ人に抱きついたり寄りかかったりするようになってしまう。俗にいう「素が出る」というやつだ。お酒を飲むと普段抑圧されている部分が表出化するという話はよく聞くが、僕にもこれが当てはまる。

高校生くらいのころ、母に言われたことがある。
「あんたはもっと人に甘えた方がいいよ」と。

これは僕の自意識過剰な部分と、卑屈にまでなり得る「気にしい」の部分を改善させるべく言ってくれた言葉。頭ではわかっていてもまあ実際そう簡単に変われるかと言えばそうではなく、人に甘えるという事をあまり上手にできないままこの年齢まできてしまった。

高校生のころには当然わかっていなかったけど、今お酒をちょくちょく飲むようになって確信している。僕はもっと誰かに甘えたいと思っているのだ。誰かをを甘やかすのが好きなのと同じくらい、自分も甘えたいと思っている。

それがお酒を飲んでリミッターが外れることで表出しているんだなあと痛感する機会が最近少しずつ増えてきている。というのも、先日のお誕生日会の映像を友人から送ってもらったら、そこには呂律の回らない舌で駄々のようなものをこねこねしている自分が映っていたからだ。

頭に「Birthday」というケーキの飾りをぶっ刺した33歳の成人男性が、ふらふらしながら「いやだいやだあもうかんべんしてよお」と乞うている。まあそこそこキツい映像。それはそう。認める。ただ、誰かにこうして駄々をこねたい自分の存在も確かに感じたのだ。

そこに確信をもって、今年の目標を1つ追加することにした。「もっと人を頼ったり、甘えたりできるようになる」だ。すぐには難しいかもしれないけど、意識的にそうしてみよう。

そうすれば、せっかく人から差し伸べられた手を空元気で「だいじょうぶだよーありがとう!」と返す機会も減るだろう。「ありがとう、実はたすけてほしくて」と言えるようになれば完璧だ。文字にしてみて思ったけど、本当にそういうことが出来てないな。今年はできるようになろう。変に意地をはったり、無理をして平気なふりをしたりするのをやめてみよう。

母はきっとこうなるとあの時すでに分かっていたんだろうな。15年以上前に予言めいた助言を残したのか。もはや魔女だろそんなのは。怖いわ。でもすごいな。

母を亡くして15年。まだまだ僕は母の言葉から気付きを得たり、救われたりしている。すごい人だったんだな、やっぱり。今年も一年、無理をしすぎない範囲で成長していこう、と改めて思わされた。

というわけで今回の閑話はこの辺にしよう。
今年も「母がいた」をどうぞよろしくお願いします。いえい。

高校生のころにはすでに
僕の抱える改善点を見抜き
予言のような助言を残した
そんな、母がいた。

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