進化する言葉〜えんぴつ人間
中学生のとき、
学校の集会か何かで先生が言っていた。
「えんぴつ人間になりなさい」と。
1.身を削って役に立つこと
2.周りに気(木)をつかうこと
3.真ん中に芯が通っていること
当時の真面目で純粋な私は、とてもいいことを聞いたぞ…と思い何度も唱えてお守りのように心にとめた。
高校生のときも、大学生のときも、社会人になってからも、何かあるとこの言葉を想って鼓舞した。だから15年経った今でも、『えんぴつ人間三箇条』として私の心には深く刻まれている。
だからこそ、『大切にしてる教え』なんて聞かれると真っ先にこれが浮かんだ。
私にとっては『先生からの印象に残った教え』だが、記事を書くにあたって(もしかしたら結構有名な言葉なのかも…。我が物顔で使ったら恥ずかしいな)と思い、「えんぴつ人間」で検索をかけてみた。
すると、やはりポツポツと記事やコラムがある。
その多くで『鉛筆型人間』という名称が使われていて、理想像やあるべき姿として書かれていた。
ただ、私の思い描く「三箇条」と微妙に異なっていてなんともいえない感覚になっていく。
ある人は『鉛筆のように真ん中に一本芯を通すべき。芯の硬さにも種類があって…』と言及し、
ある人は『芯があり、周りに気を使い、自分の身を削って役立てる人になりたい』と語り、
ある人は『芯のある人、気遣いのできる人になろう』と呼びかけている。
3要素がそろっていなかったものや、あったとしても順番が違ったり、ニュアンスは一緒だけどフレーズが違ったり。そして一番気になったのは、その誰もが「講師の先生に教わった」「友だちに聞いた」「親が言っていた」などと独自のルートからこの考えを受け取っているということだった。
かく言う私も、その1人である。
するとどうしても気になるのが【元ネタ】だ。
一体誰が、どんな場面で、この言葉を使ったのか
今度は「鉛筆型人間」で検索。
するとすると、さらにヒットした。
やはり学校の式典で贈る言葉になっていることが多いようで、より多くの具体例をスクロールする。
ここまできて、(これは凄いことなんじゃ…)
と思い始めた。
いわゆる「口コミ」でここまで広がっていて、ここぞ!という場面で使われている。そんな言葉や有名なフレーズはたくさんあるだろうが、他と違うのは「誰の言葉か」があまりその場で語られず、それぞれ『自分の言葉』にして発信できる点だ。
この教訓を発する人はみな出会うべきときに出会い、自分なりの解釈をして、また別の誰かに届けようとしている。
ここまで思ったところで、
「鉛筆型人間 誰の言葉」に検索ワードを変えた。すぐに出所がみつかりホッとしたのも束の間、
なんと、2つの候補が。
●三重トヨタ自動車・竹林武一氏
『エンピツ型人間になれ。その心は、中に一本芯が通っていて、周りに気(木)を使う。そして、自分の身を削ってお役に立つ』
●放送作家、作詞家・永六輔氏
『鉛筆のような人になりなさい。芯がチャンとあって、まわりに気(木)をつかいなさい。』
竹林武一氏の有名な言葉、として紹介されているものも多くあった。永六輔氏といえば『上を向いて歩こう』の作詞でお馴染み。『新・無名人語録 死ぬまでボケない智恵』という本に書かれているらしい。
いずれもネットの検索にすぎないので確証はないが、個人としては永六輔氏の心得のようなものに、竹林武一氏の「身を削って役に立つ」が加わって広まっていると推測した。
もしかしたら永六輔氏もまた、誰かに「えんぴつみたいに芯を持て」と言われたことがあるのかもしれない。
ふと思う。
その教えが〈誰の言葉か〉なんて、あまり関係ないのだな。
人は見たいように見るし、聞きたいように聞く。
その時に自分が必要だと感じた教えなら、誰のどんな言葉でも、スッと入ってくるべきなのだ。
使われなくなった言葉は死んでいく。どんな有名な名言も歌詞も、誰にも唱えられなければ死んでしまう。でも逆はどうだろう。著作権もなく、ただただ誰かから誰かへ、必要な人に届いているのだとしたら。それが個々の解釈を踏まえ、口伝されるとしたら。おそらく進化にもなり得る。
私がもし、誰かに『えんぴつ人間っていうのがあってね…』と伝えるとしたら、どんな風に話すだろう。
芯を一本、持っておくこと
これが一番難しくて、これが一番大切なんだ。
簡単に折れないように周りの気(木)は柔らかく…
そんなことを言うのかもしれない。