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87歳の母がiPadを買った2020年夏


『最悪な春』の中で森山直太郎さんは、2020年の春を忘れることはないだろうと歌っていた。


コロナ禍で当たり前の日常が奪われ、我慢と不安の日々…。


私も決して忘れないし、この苦境を必ずや乗り越えて、孫やひ孫に「あの時はさあ、もう大変だったんだから」と頑張った自分を自慢してやるのだ。


さて、自粛生活も5カ月目に突入した8月のこと、昭和8年生まれの、アナログ人間の母が、なんとiPadを買った。


これまでも母はスカイプで「元気にしてる?」と極たま〜に連絡してきた。ただ私の姪の使い古しのラップトップだったので、電源を入れてからスカイプが立ち上がるまでに「風呂に入れる」ほどのスローっぷりらしい。そんなわけで母は滅多にコンピュータをオンにしないため、こちらから「元気?」と尋ねることはできなかった。


iPadを買い、私の姉から「LINE」の使い方だけをみっちり教わった母は、ほぼ毎日「アロハ〜。忙しそうだったら切るわよ」と、コロナ禍で少し暗くなった私の日常に登場する。


そして、今日の「徹子の部屋」のゲストが誰だったかとか、生協のおかずの宅配サービスがいかに充実しているかとか、今年の夏はあまりに暑いのでケチらずに寝るときもエアコンを付けている…などと、1時間ほどおしゃべりする。まるで一緒にお茶でも飲みながら、テーブルの向こう側から話しかけてくるような感じだ。


洋裁師だった母は、いつもいつも背中を丸めてミシンに向かっていた。教室も開いていたのでとても忙しく、母とのおしゃべりはいつも横に並んで“しろも取り”の手伝いをしながらだ。


学校から帰ると、母の仕事部屋にすっ飛んで行き、面白かったこと、悔しかったこと、先生の失敗や給食に揚げパンがでて大騒ぎしたことなど、身振り手振りを交えて大袈裟に話して、母を笑わせていた。


ただ、そんな楽しい時間も小学生まで。中学に入ると部活やら宿題やらで忙しく、高校に入るとバンドの活動やアルバイトも加わり、母に対しては「体育祭の衣装、来週までに縫っておいてくれる?」とか「ベストテン録画しておいて」などといった頼みごとがほとんどだ。イヤな娘。


ところが、87歳にしてiPadデビューを果たしたおかげで、毎日6000キロ余り離れた母と「笑点の大喜利もリモートなのよ〜」などと、どうでもいいおしゃべりを楽しめるようになった。母よ、よくやった。


そして40年のブランクを埋めるべく、今日あった出来事を身振り手振りを交えて一生懸命話している、私である。


大変だけど嬉しいこともあったんだよね…2020年夏。

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