幸せの微分と積分
最近、幸せ感じていますか?
私は最近、自分の肯定力が低くなってきたり、幸せを感じることが少なくなってきていました。そんな時に、勧められた本があったので読んでみました。勧めてくれた人は絶対悲観主義のところを勧めてくれたけれども、私には「幸せの微分と積分」が響いてしまった。(もちろん絶対悲観主義は参考になったけれども!!)
そんな本の中に「幸せを微分で捉えるか、積分で捉えるか」という一文がありました。最初はなんぞやと思ったけど、説明を読んでいくと納得をした。
まず、幸せを認識するメカニズム注目しましょう。
幸せを微分する人
これは例えば、昇進したとか、自分の評価が上がったとか「直前と現在の変化の大きさに大きな幸せを感じるタイプ」
幸せを積分する人
例えば、その時点の変化ではなくてこれまでに経験した大小の幸せを過去から累積した総量に幸せを感じる。
この文を読んだ時、最近の私は幸せを微分する人だなと思った。定期的な昇格の時期が近いこともあり、昇格などうかなとか考えることが多くなっていた。
昇格とかの方が瞬間風速としては幸せは大きい。だけれども風化していく。しかし、思い出や日々の幸せは大きさとしては小さいけれども、継続的である。「あの時はたのしかったな」と記憶に残っていることが幸福としてずっと継続的に幸せになれる。記憶は幸せになることの第一歩なのかと。
だから、日記を書いていくのかと。
いいことも悪いことも何でも書いて、楽しかったことをまた読み返せばいい。もしかしたら悪いことも時間を置いたら悪いことがあったから今の自分が思えるかもしれない。
最近日記をさぼりがちだったけれども、また再開しようと思う。
これからは、足るを知り、自分の幸せのコップを見つけて、幸せを積分する人になっていきたい。
皆さんは幸せを微分しますか?それとも積分しますか?