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過去か未来、選ぶとしたら。

「レズビアンだと自認したのはいつ?」という質問に戸惑うことがある。別にこの類いの話題をセンシティブに捉えているわけではない。自分の中であり得る様々な回答を考えた上で、わからないのだ。最近話題となったNetflixの恋愛リアリティショー「BOYFRIEND」。男性同士の恋愛や人生模様が描かれる中で、それぞれの出演者が自身のセクシュアリティについて話すシーンがある。「アプリで男性と出会って確信した」「友達に自分のセクシュアリティについて話した時に自認した」など、異なる経験が語られ

    • なんとなく、SNSの雰囲気に飲まれて、言いたいことが言えない。

      映画を観たり本を読んだりした後、すぐにスマホを開き、SNS上にある誰かの感想をみてしまう。同じコンテンツに触れていても、鑑賞者それぞれの意見は違うはずなのに、つい自分の解釈は合っているか、他の人の感想をみて答え合わせしてしまうのだ。 最近よく聴くポッドキャスト番組「働く女と◯◯と。」の第42回で紹介されていた、ゲストの三宅香帆さんの著書「推しの素晴らしさを語りたいのに『やばい!』しかでてこない 自分の言葉でつくるオタク文章術」が気になり、ページを捲っていると、痛いところを突

      • 差別と向き合うには倫理の際まで追求しなければならない

        ホン・ソンスの『ヘイトをとめるレッスン』を読んだ。本では、ヘイトが表現の自由を密接に関わっていて、“ダメ”とされる表現の境界線が引きずらいことが説明されていた。何でも表現の自由だと片されてしまうのは、そもそも「表現の自由」という言葉の意味が広義的であるが故な気もしてきた…。「表現」って言葉にしたり行動したり人の共有することも含まれると思っていて、それを「自由」と形容するのは難しい。どう思うかは個人の自由だけど、それを表現した瞬間、第三者が巻き込まれるリスクもある。 差別を規

        • 自死の選択

          過去に一度だけ匿名で取材させてもらった一般の方の考え方が面白くて印象的で、久しぶりにTwitter覗いてみたら1月に亡くなられていた。たった一度の取材でしかもオンラインだから対面でもないのに、Twitter上で本人の弟が代理で投稿した訃報を受けて一日中放心状態。 自死と聞くとネガティブな印象がセットでついてしまうけど、本人が自死を決断してから最期までの遺書代わりとなるツイートを見ると、妙に納得してしまった。どう考えてもこの不自由な社会で生きることは、それだけで大変なことだし

        過去か未来、選ぶとしたら。

        • なんとなく、SNSの雰囲気に飲まれて、言いたいことが言えない。

        • 差別と向き合うには倫理の際まで追求しなければならない

        • 自死の選択

          HSPは自己顕示欲を高めるための言葉だと思っている

          自称クィア、自称ADHD、自称HSP、今や自称の世の中。定義が定着しないまま言葉を無責任に使えるようになって、ポップ化することで当事者のリアルな声が消されていく現代ならではの問題に直面してる気がする。障害者含むマイノリティ当事者が声を上げているのは、辛さを乗り越えた先の希望を信じてるからで、人と“変わってる“とされていることで本気で悩んで表に出せない人も沢山いる。 一方で、その変わっている部分を見出し自らが消費されにいく構造は珍しくない。本では「美術や音楽に深く感動する」「

          HSPは自己顕示欲を高めるための言葉だと思っている

          鈴木涼美『グレイスレス』の読書感想文

          鈴木涼美の芥川賞候補となった第二作目。Elleのポッドキャストから鈴木涼美の思想や価値観に触れ、彼女の選ぶ言葉の魅力に気づき、気付けば小説を書く作家にもなり...。 過去にもいくつかの本を出していた彼女だけど、普段の語り口調とは違う独特の表現に慣れるのには時間がかかったため、今回もそんな感じかと思っていたが、グレイスレスでは至ってシンプル。淡々と俯瞰して語る主人公は鈴木涼美そのものではないかとさえ感じた。 もしかしたら既にネットで調べたら出てくる情報かもしれないが、前情報

          鈴木涼美『グレイスレス』の読書感想文

          詩人リルケの都会観

          都会を毛嫌いするのにその一部に紛れ込むーー。人混みの中にいる自分を少し遠くから見ると、大量生産された人間の一人であることに気づく。さらに上から覗くと、人間に差はない。 なるべく自己という「内」に向き合おうと思っても、いつの間にか「外」に向かってしまう。事物の真偽は、「自然」とそれに相反する「都会」なのだ。 だが、不思議なことに人間は矛盾した生き物であり、都会に嫌悪感を抱くものでさえも、孤独を恐れる。結局は都会の奴隷となり、内に向かう暇なく外の事物を求めてしまう。 混沌と

          詩人リルケの都会観

          詩人リルケの考える虚構と本質

          自然は現実を受け入れながら生きる。 一方で、人間は在るようで反映に過ぎない。 時たま人混みの中で空を見上げると、意識の方向が少しでも変わるような気がする。以前、舞踏カンパニー大駱駝艦の田村一行さんに取材をした時「あなたは誰?」という問いについて語ってくれた。「私は女性」「私の出身地は東京」「私はダンサー」つまり、人間は外的な事物に捉われている。だから、空を見ると平然とした顔で流れるままに生きているような、ゆったりとした時間が流れているように感じる。自然は、“外的な事物”に捉

          詩人リルケの考える虚構と本質