終末期に家族がやれること
母が自分でやれる事が限られてきた時に、私に出来ることは何だろうと、いつも考えていた。
思いつく限りやったけれど、言葉が話せなくなった最後の2日間、母はどう感じていただろうかと色々思う。
それは嫌だとか、気持ちいいとか、言えなかったから、私がやれる限りの事をかなりマメにやってあげていた。
亡くなる2日ほど前から、15秒くらい呼吸停止することが出てきて、口も閉じられず、口腔内が乾燥して見るからに辛そうだった。
口には布マスクをしていたけれど、乾燥は防げない。
スポンジのようなもので湿らせてあげると楽になると言われたので、探してきた。
これは、最後の2日ほどで、約20本使った。
使いやすく、口の中にするすると入っていくので、気になるたびにやってあげていた。
コップに水を入れて、スポンジを浸し、口の中を湿らせ、また水をつけるのを繰り返す。
昨日ふと、これは実際に使うとどんな感覚なのか?と疑問に思って、さっき、残っていた一本を、自分の口に入れてみた。
やってあげる側としては安全で非常に使いやすい。
実際に自分で使用してみた感想としては、気持ちの良いものではなかったというのが正直なところだった。
これは商品の批判をしたいわけではないので、くれぐれも、誤解の無い様にお願いします。
水分補給というか、湿らせるために使うよりは、口腔ケア(歯を清潔にするとか)の方向に使うのが良さそう。
清潔なガーゼで口の中をそっと拭いてあげたほうが良かったと、思った。
ガーゼも用意したけど、専用の商品の方が良いと思い込んで、せっせとお口にスポンジを入れて湿らせてあげていたけれど、多分、くすぐったくて、微妙な気持ちになっていた事だろう。
元気な母なら、絶対に拒絶しそうな材質を、なぜ使ってしまったのか。あー、ちょっとまずかったなと思った。
最後の最後の、辛い時に、お母さんごめん、だよ。
上顎に、スポンジこすられると、くすぐったいよ。何度もやってごめん。なんで使う前に自分でやってみなかったのか…。必死だったんだけど、ほんとごめんだよ。
それ以外で、在宅ケアに変えてからやったことは、
*気分が上がるよう、足の爪をキレイなピンク色に塗る
*脚のオイルマッサージ
*浸出液が出てきてからは、保湿剤を優しく塗る
*とにかくマメに顔を出して、不快な症状を聞き出し、訪問看護ステーションと連携をとる
*ホットタオルで顔や頭を拭く(保湿もする)
*食べたり飲んだり出来そうなものを聞き出して、ダメ元で買ってくる。たった一口でも、食べられたらヨシ。
*元気が出そうな思い出の写真を集めて、アルバムにザックリ挟んで、お見舞いに来られた方と写真を見てもらう
*足湯の手伝い
*手をさする
*水が飲めなくなってからは、氷を濡らして小さくして、口に入れる
*少しでも軽い布団に変える
*着心地の良さそうな服を可能な限りで用意する
*からだの向きが不快な時、動くのを手伝う
*寝たきりになってからは、ベッドと体の間に手を差し込んで、背中をほぐす、熱を逃す、さする、
*動かせない脚を曲げたりさすったりして、じっとしている辛さを和らげる(和らいでいるかは不明)
というような些細な事だけど。
見ていて辛くて、やってあげる事でこちらが癒されていたのであって、本当は苦痛だったかも知れないな、とは思う。
夜亡くなって、葬儀の打ち合わせは深夜までかかり、そこから家族で決めなければならないことを決めた。
亡くなる直前から親戚が遠くから来てくれていたので、翌日通夜、翌々日葬儀、と予定をコンパクトにしたことも手伝って、やるべき事の量と、それをこなすための時間が、どう見ても釣り合っていなかった。
私の睡眠と食事と座る時間をそこに当て、怒涛の数日を過ごし、今日はやる事を少し休もうと父に言って、ホッとしたところで、お母さんに可哀想なことしちゃったな、という気持ちが出てきた。
それ以外にも、解決しないと思うなんだかモヤっとする事が一件あったり、来てくださった方に申し訳なかったと思う件も一つ見つかった。
これから、そういうことがまたポツリポツリと出てくるだろう。
そして、落ち着いた頃に、また寂しさが込み上げて来るのかも知れない。
母の卵巣がんが分かってから四年弱の間、ずっとずっと、寂しくて不安で、辛かったし、幾度となく泣いてきた。最後の3か月も、ずっとつらくて、母のいない所で泣いてきた。
だから、もしかしたら、私の悲しみは今の感じがじわーっと続くだけなのかも知れない。
今日は、やるべきことを横に置いておいて、めちゃくちゃ久しぶりに接骨院に行こう。
お昼は友達の家で、テイクアウトを食べることになった。三男は学校休ませた。
自分を、労ること、お母さんも望んでくれると思うから。
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