悪役
とある記事で「悪役は転じることは少なく、今生は悪役で終わることが多い(自分訳)」といった内容を見た途端にもうどうでもよくなった。つまり、精神が飢えているから何者かを求めて乞い、奪わずにはいられないのだと。
不幸と幸福は相いれない。しかし、それを不平等として幸福を差別し、平等のために引きずり込もうとする。同調圧力じゃなかろうか・・・。
精神とすり替えられた正義もまた、言葉や力による暴走を引き起こしやすい。
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我を忘れて衝動に身を任せたい。誰も自分であることを赦してくれないし、自分を見てくれない。「当たり前」として生きていることだけが取り柄だ。そこから外れてしまえば、何者にもなれない。どうしようもない怒りの矛先を向けるには世界は正常すぎるし冷たすぎるし、せますぎる。でも自分だけが孤独だなんて許せない。暴力を奮いたい。この想いを受け入れてくれる誰かを求めたい。心の扉なんてとうに壊れている。どんなに叩いてもだれもきいてくれないのだから。
だがそんな酷い獣性をさらすなんて、私一人だけが晒すだなんてあってはいけない。裸体を晒すようなものだ。羞恥の極みでしかない。私はあくまでも「冷静に、正常に、当たり前に則って」「普通」であることでようやく受け入れられてもらえる世界のなかで生きているのだ。だからそれらに「則って」正義を利用する。正義なら共感を得られるから。当たり前なら共感を得られるから。一人であることがコンプレックスだなんてあってはいけない。そんなものは他人がやればいい。誰も共感などしてくれないのだから、せめて同じ目に遭わせてやる。私は独りではないのだ。
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ただ、この役はたとえ前世だろうが今生だろうが、来世だろうが、誰にでもなりうるかもしれず、だからこそ何かに感謝できることは幸せだなと夢想している。
というわけで食欲の秋を満喫しようと思う。
写真は 花 · 無料の写真素材 (pexels.com) より
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