みんないい人。
人を嫌いになるという感情があまり好きではない。
高校生の時くらいから、はっきりと自分の中にあった感覚です。それはなぜなのか。嫌いになること=あんまり良くないこと=自分が悪く思われたくない、というのが深層心理どこかにあるのかもしれない。人と喧嘩するのも、喧嘩で心を乱されるのもあまり好きではないので、嫌いになって波風を立てたくないという防御の意味で、嫌うのが嫌い、と心に決めていたのかもしれない。
いろいろ考えられるのだけれども、今日一つ、ああ、この人とは仲良くなれるかもしれないなと思うツイートをパッと見つけた。
みんないい人。悪い人なんていない。話し合えば分かる。毎日笑顔。世界平和。人類皆兄弟。とか言ってますと、頭の中がお花畑とか、偽善とか、幼稚とか、宗教っぽいとか、いろいろ言われますが、僕は信じてるんですよね。みんないい人だって。誰一人として他の誰かを傷つけたい人なんていないって。
ZOZOTOWNの前澤社長のことば。
わたしは大学で心理学、それも司法臨床系のことを勉強した。
この非行少年はどうして道を逸れたことをしてしまったのか。初犯の犯罪者が収容されている刑務所にも行った。それまで犯罪者って鬼のような人なんじゃないかという思い込みが勝手にあったけど、近くで見るとフツーの人だった。
その人たちがわたしたちとひとつ隔てられた向こうの世界にいる理由は、環境によるものが大きい。非行少年も元をたどれば、大抵は親からの愛情不足、虐待があったり、そのまた親をたどれば、親自身も愛し方を知らない環境で育ってきたとか。これって誰が悪いんだろう。みんなフツーの人になり得たのに、そういう環境に不運にも居られなかった。だけなのか。
大学での学びで、マイノリティへの偏見を取っ払得る自分に少しはなれた気がする。
前澤さんはそういう背景があってこの言葉を発信したわけじゃないだろうけど、みんないい人になり得たのにそれを阻む何かが個人の中に潜んでいる、という考えには共感できる。そう考えると、ああ、自分に余裕があるうちは、そんな人を思いやれたらいいなって思う。逆に自分にちょっと余裕がなくなってきたら、理解とゆとりがある人に同じように思いやってもらえる人生になればなって。もちろん与えるのが先。思いやりの循環。
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