ほのぼの日和#16 紛争、子ども兵
1月20日、なかなか足を踏み入れる機会のない北部地域グルに行った。前回のブログで書いたサッカーイベントがこのグルで開催されたためだ。難民居住区は禁止区域であり、許可がないと行くことはできない地域である。
そのイベント後、元子ども兵の方とそのこどもたち、地域の方とスポーツを通じて交流した。
私たちが滞在したウガンダ北部グルというところは、数年前まで紛争があった地域である。ウガンダ北部では1988年から2006年まで、政府軍と反政府武装勢力LRA(神の抵抗軍:Lord's Resistance Army)との内戦が続いていた。LRAは18歳未満のこどもたちを「子ども兵」に仕立てあげ、強制的に戦闘や労働、少女兵の場合は性奴隷に従事させた。子どもたちが自分たちの村に戻らないように、自らの手で家族の命を奪わせた。
私のこの街の印象は、とても穏やかな時間の流れるゆったりとした街だなというものだった。正直、想像していたのはもっと貧しく治安の悪い街だった。人々はアフリカ特有の布チテンジを身にまとい、きれいな恰好をし、カンパラや任地では会う人、会う人に「ムズング(白人という意)」で声をかけられるのだが、それが非常に少なかった。道も非常に整備されており、お店が立ち並んでいた。
まさかこの街が紛争の場になっていたなんて思いもよらなかった。
この街は紛争当時、子どもたちがLRAの襲撃と誘拐から逃れるためのシェルターとなっていたそう。数千から1万人もの子どもたちが夜ごと家を離れて集まり、道ばたや店の軒先で夜を過ごしていたという。この街にはその面影もなく、一緒にスポーツをした方々も、そのような雰囲気はなくともに楽しくスポーツをした。しかし、彼らの笑顔の裏には私たちには到底想像もできないような、過酷で悲惨な経験をし、それを乗り越えて今があるのかもしれない。もしくは、必死に乗り越えようとしているのかもしれない。自分の手で、母親や父親、家族を皆殺しにするなんて想像できるだろうか、そんな記憶を忘れることなどできるだろうか。紛争、戦争は、終戦宣言が出されれば終わりではない。その後も、苦しみはその人々の中で永遠と続くのである。
つい先日マチソンのサファリに行って、野生のぞうやきりん、船の上からかばやワニを見た。野生の動物たちを間近に見られることに喜びを感じていた。しかし、元子ども兵の方々は、そのマチソンの川をかばやワニに怯えながら、命からがらわたってきたのだという。同じマチソンの景色でも、私たちが感じたものと彼らが感じるものはあまりにも違ったのだ。ただ興奮してみていた自分自身をなんだか情けなく思った。
この北部で紛争が起こっていたことは知ってはいたが、いざ自分が滞在する街が本当に紛争時のシェルターになっていたなんて到着してすぐは、全然頭になかった。恥ずかしながら、そのことをきちんと調べたのは帰りのバスであった。この地であったことをもっと知ってから、足を踏み入れればまた違ったのかもしれない、そうすべきだったと非常に後悔した。ただ知っているだけと、そこに足を踏み入れ、自分の目でみること、話をきくことはまったく違う。せっかく私は日本から遠く離れたウガンダという地で2年間過ごすのだから、まずは知ること、そして自分の目で確かめることが必要だと強く実感した。知らなければ始まらない。無知は恥である。また、再びこの地は訪れたいと思う。
私たちが穏やかな時間を過ごしているこの瞬間も、いまだ世界各地で紛争は続いており、毎日怯えながら暮らしている人々がいる。
最後に、最近読んだ写真絵本を紹介したい。
ウガンダのいま ー紛争の再発予防を考える旅の記録 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター) (hurights.or.jp)
高橋邦典『戦争が終わっても―僕の出会ったリベリアの子どもたち』ポプラ社、2005年