ふっきれたのかな、な話
おはようございます、けさも早起きです。そして、いつも通りにいつものことをします。なんでしょうね、意固地になるとか、そういうのでもなしに、気づいたらしてる。坐って、読経して、腕立てとかして。で、会社へ行く。まあ、ミスしたりうまくいったり、諸々。でも、なんでしょうね、ふっきれたのかな、出処進退のこととか、悩んだはずなんだけど、それももうないな。いや、辞めませんよ、って感じで。
ひとからなにか言われても、ありがとさん、なにかしてもらったり、助けられたら、それこそ大いにありがとさん。坐禅の効果なのでしょうか、ようわからんけど、まあ、自分の能力というか、こういうとこ弱いよね、とか、でもこれは出来るからしようね、とかね。そういうのがタペストリーみたいに、編まれていて、まあ、そんなもの。
別に周りから邪けんにされている訳でもないし、なかよくやってますし。まあ、チクリとなんかね、それはある。でも、それもスパイスでしょ、人付き合いしてれば、そんなことはあるものです。とくにこう、目標も理想もないけれど、あえていうならば「日日是好日」あるがまま、ってことですかね。それが沁みてきたのかな、おそくまで働けば、寝るのも遅くなる。でも、早起きするから、眠い。すべてね、仏様はお見通しですよ、きっとね。ええんですよ、出来ることを、いっしょうけんめいすればいい。能力がどうの、あの人が好かん、あのひとは好き、それがどうだっていうのでしょう。
さて、今日の一冊を
なんだかよさげ、よんでみよう