奈良旅行2日目 石上神宮、大神神社、平等寺、黒塚古墳 2023年
石上神宮
2日目は電車で桜井~三輪方面へ。
まずは石上神宮。
天理駅から少し歩くので、大人しくタクシーを利用しました。
歩いても行けるらしいのですが、寒い+土地勘がないのでやめました。
(写真は一部夏のものを使用)
とても驚いたのですが、なんと、1月5日現在、境内の参道に屋台がでています!
私の地元だと、3日過ぎると屋台も正月の規制もなくなっていたのでとても意外でした。
後日参拝した春日大社なども正月の規制がされていたので、奈良は7日の松の内あたりまでは初詣の方が多いのでしょうか。古都の本気を見ました。
何故か境内に鶏がいっぱい。
コケーという声がずっと響いています。
ほんとになぜだろう……
常世の長鳴き鳥だから?
境内の補修工事が終わっており、きれいな拝殿が見られました
個人的に、こういう灯りのともった灯篭が大好きです。
向かいに建つ出雲建雄神社へ。
出雲建雄神社からみた楼門。楼門を潜ると拝殿です。
少し歩いたところにある石碑。
石上神宮神宮の由緒に、川上から流れてきた剣が乙女の袖に留まり祀った、というものがあります。
ゆえにこの地をフル(布留)と言ったらしいのですが、そのことを詠んでいるのでしょうか。
大神神社
三輪駅に降りると、参道に出店がずらり。
まるでお祭りのような賑わいです。
駅から少し参道をあるくと大神神社につきます。
残念ながら、三鳥居からの三輪山遥拝はコロナで中止でした。
拝殿から参拝の後は、
境内すぐ横の末社・神宝神社へ
ご祭神がまさかの熊野三神。
去年の9月に熊野へ詣でたばかりなのでとても驚きました。
神宝神社から少し下がると、天皇社があります。
第11代崇神天皇をお祭りしているそう。
運動不足にはやや辛い階段を上ると、すこし開けた場所に神社があり、そこから大神神社の拝殿が見えました。
そこからは覚悟を決めて「くすりの道」へ。
狭井神社・久延彦神社を目指します。
私はまず久延彦神社を目指しましたが、おそらく最初に狭井神社へ参拝した方が足が楽です。
この先、近道を進んだら展望台の石段昇り降りが待っていました。しれっと近道と書いてありましたが、こんな険しいなら普通の道で行きたかった……。
久延彦神社は知恵を授けてくれる神様だけあり、受験生や初学生くらいの子供・親子連れでにぎわっています。
『古事記』では一所に居ながら千里を見通す神として、スクナヒコナの神の出自をあてていますね。
(スクナヒコナはカミムスヒの神(神産巣日神)の子で、小さすぎて手の又から零れ落ちた我が子と表現されています)
センター約2週間前、かつ高校受験や人によっては小・中学受験も控えているからでしょうか。
年齢は様々ですが受験生らしきグルーブや親子連れで賑わっていました。
景色が良いですね。
さて、ここからもと来た道を戻り、なるべく階段を回避して狭井神社へ。
ん?!
狭井神社、井戸の水を祀る神社かと思えば、「大神荒魂神社」とあります。
御祭神も大物主の荒魂とヒメタタライスズヒメとセタタタラヒメ(妻と娘)そして事代主神。
大神神社の奥の院のような感じなのでしょうか……。
知りませんでした。人が多いからと飛ばさなくて本当に良かった。
行った道は戻らなくてはいけません。気を取り直して宝物庫見学へ。
入館料は200円で、三輪山で発掘された祭祀品や奉納品を見ることができます。
奉納品の中に、オオタタネコ神社の記述が……
オオタタネコは三輪の大物主のお告げにより、大神の祭祀をすることになった人物です。
お告げの中では大物主の子孫ということになっています。
彼の神社がある、しかも近くにです。
これは行かねば!
急遽、若宮への参拝が決定しました。
境内はとても静かで落ち着く空間でした。
平等寺
さて、改めて平等寺へ向かいます。
正直、もう少しルートを考えてる必要がありそうですね。
何度も同じ道を往復し、ひたすら坂道を歩いています。
平等寺は神仏習合の当時、大神神社の神宮神だったお寺です。
手前の鐘は叩いて良いとのことで、時折ゴーンと鳴っています。
なんというか、鐘が鳴る=人が来た合図みたいになっていました。
突いてみたいですよね、鐘。
五色の紐が本堂から渡されていました。
これは何なのでしょうか。
お正月だからなのか、いつもなのか気になります。
黒塚古墳
さて、ここから坂道を下り、次は黒塚古墳へ。
最近読了した本に、神社の形式は古墳祭祀の形式を汲でいる(意訳)とあってので、古墳も見ておきたくなりました。
結論としては“埴輪が乗っていない状態で見ても何も分からない”という当たりまえの結果です。
いやー、計画段階で気づけば良かった。
↑振り返ると看板が見える。
↑道なりに行くとふれあいセンターしかなく迷子。
黒塚古墳の近くに無料のセンターがあり、石室の模型を見ることができます。
遺体を囲むように置かれた鏡と、丹。刀剣も二振り出土したようです。
この古墳からは玉は出ていないようでした。
この古墳から出土したのは卑弥呼が魏から貰ったのと同じ、三角縁神獣鏡です。
前期古墳ということで、当時の葬送儀礼や初期大和政権への権力の伝播などの解明が期待できそうですね。
二日目はこれ似て終了。
しかし、やはり車がないと効率的にまわるのは難しいですね。
そして帰りの電車に乗ってから、阿部文珠院が近いと知りました……。
行けるものならば行きたかった。