神保町移転ものがたり
2012年に神保町に引っ越してから8年が過ぎました。以前は笹塚にある椎名さんの事務所のビルに間借りしていたのですが、そこを事務所が別途使用することになり、本の雑誌社はどこかに引っ越さねばと発行人(いわゆる会社の社長です)の浜本が青い顔をして、私を笹塚10号通り商店街にある、秋になると目黒さんがカキフライがはじまるのを指折り数える「とんかつ江戸家」に呼び出したのを昨日のように思い出します。
引っ越しを大ピンチととらえた(家賃負担が増えると思ったのか?)浜本は「どうしようどうしようどうしよう」とソースを持つ手がふるえ、とんかつの上にうまくかけることができなかったのですが、私はその引っ越しをチャンスと感じ、浜本の心配事をひとつひとつ説き伏せながら大喜びでとんかつを食べたのでした。
とんかつを3切れ食べ終えた頃には浜本の動揺もどうにか落ち着き、引っ越しに前向きな気持ちとなり、ご飯をお代わりしていました。そうなると今度は「どこに引っ越すか?」ということが最重要課題になるのですが、浜本の口から出てきたのは、新宿御苑、新宿三丁目、新宿と代々木の間とどうしても新宿がいの一番にあがるのでした。
なぜに新宿? 笹塚に引っ越す前は新宿を転々としていた本の雑誌社ですが、出版社としては特に地の利がいいわけではなく、いいことといえばいつも飲みに行っている池林房が近いということでしょうか。それは確かに便利ですけれど、会社は飲みにいくところではなくていちおう仕事をするところ。僕はかねがねなぜに「本の」雑誌社と名乗る出版社が「本の」街にないことが不思議で、だからこそ、この引っ越しは本と出版のメッカである神保町を一番の候補にあげるべき、と主張しました。
なぜなら神保町に移れば、本屋さんも古本屋さんもたくさんあるので否が応でも刺激を受けられるし、「本の雑誌」の執筆陣のみなさんも本を求めてきている街ですから、そのついでに会社にも遊びにきてくれるのではないかと考えたのです。
ご存知のとおり椎名さんはあちこちどんどん出かけていく人ですが、当時の本の雑誌社メンバーはみんな本を読んでいれば幸せという人たちなので、どうしても出不精なのです。笹塚から一歩も出ない……なんて人もいる始末で、営業で毎日いろんな人と出会っている僕からすると、もっともっといろんな人と会って刺激を受ければ、誌面も活気づくだろうし、面白い企画が浮かぶはずと思っていました。
だからこそ本好きの人たちが集まる神保町に引っ越すべきなのではないかと最後のとんかつの一切れを頬張り、米粒を飛ばしながら浜本に主張したのでありました。
もともと新宿にこだわっていたというよりは新宿以外街をしらなかっただけの浜本は、「それに神保町のランチは大盛りで安くて美味しいですよ」という一言にすっかり心移りし、会社に戻ると「本の雑誌社は神保町に引っ越します!」と高らかに宣言したのでありました。実は神保町は社員みんなが通うにもちょうど中間地点だったので、そういう意味での公平さがありました。そしてその日から部屋探しがはじまりました。
というわけで、コロナ禍で一日ひとり体制をとっている本の雑誌社で、朝7時に出社した僕は、だれもいないその8年前に引っ越した事務所で、ぼんやり当時のことを思い出しながらこの文章を書いてます。
神保町いい街です。朝早く出社すると紙の匂いがします。その匂いをかぐと、さあ今日も本と雑誌と戯れるぞという思いが湧いてきます。
ちなみに浜本は引っ越し前日にぎっくり腰になり(しかも自宅で)、引っ越しの日はお休みとなりました。
執筆:営業部杉江(本の雑誌WEBストアメルマガに加筆修正しました)
引っ越した年に神保町ブックフェスティバルにあわせてつくった神保町特集号。