西村賢太『誰もいない文学館』試し読みページ公開
目次
誰もいない文学館
藤澤淸造『根津権現裏』
呉承恩 田中英光『西遊記』
朝山蜻一『キャバレー殺人事件』
大木雄二『童話を書いて四十年』
村山槐多『槐多画集』
倉田啓明『地獄へ堕ちし人』
田畑修一郎『石ころ路』
宇留野元一『樹海』
大坪砂男『閑雅な殺人』
久鬼高治『北十間川夜話』
横川巴人『夢 横川巴人作品集』
尾形亀之助『雨になる朝』
川村花菱『川村花菱脚本集』
尾崎一雄『子供漫談』
城昌幸『みすてりい』
八木義徳『美しき晩年のために』
藤森淳三『文壇は動く』
佐々木味津三追憶文集『甘棠集』
相馬泰三『鹿子木夫人』
松永延造『時頼と横笛』
武田武彦『踊子殺人事件』
島田清次郎『晶玉集』
上野成子『鹿鳴草』
岩崎英重『坂本中岡両先生遭難顚末』
芳賀書店『田中英光全集』内容見本
西村賢太編『藤澤淸造全集内容見本』
文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち──幻の筆跡を通じて
はじめに
藤澤淸造
永瀬三吾
大河内常平
石浜金作
藤澤淸造『根津権現裏』
かような題名でもって、新たに単文を連載させて頂く機会を得た。
私は現在の、ピンからキリまでいる数多(ルビ:あまた)の書き手の中でも、その読書量においては間違いなくワーストクラスに包括されよう。更にはそのクラスの中でも、おそらくは下から数え得るレベル内にあるとの確信がある。
無論、これは誇っているわけではない。物書きに限ったことではなく、やはり読書の蓄積は、それは多いに越したことはないであろう。
さりとて自身は、その多寡に左程の重きをおけないのである。
別段、読書が嫌いだと云うわけでもない。むしろ逆だとの自覚もあるぐらいなのだが、如何(ルビ:いかん)せん読む幅が狭いのだ。
若年時こそ濫読の一時期を経(ルビ:た)てたことがあるものの、近年は自身の敬する数人の物故私小説家の、その作の復読につぐ復読に明け暮れている。
何十遍と読み返しても一向に飽きないし、読むたびに感銘も受ければ刺激も覚える。それで別段に物足りなさも無聊も感じないのだから、どうも私は、いわゆる〝知的好奇心〟と云うのが至って低くできてる人種なのであろう。
とは云え、それでもこれで馬齢だけは重ねてみると、先の物故私小説家(とは、藤澤淸造、葛西善蔵、川崎長太郎、田中英光らを指すのだが)との関連で、枝葉をのばして触れていった書物も案外の堆積となっているようではある。
これらを引っ張り出してきて、順次筆にのせてみようと云うのが、此度(ルビ:こたび)の眼目である。当然、極めての個人的な偏愛書録となろう。今までの拙文同様、殆ど見向きもされぬ駄文の類である。
だが私はこれを、世によくある古書愛好者の稀覯本紹介、考察の一文にするつもりは毛頭ない。また、世によくある好事家の、知られざる珍本発掘、コレクション自慢の類に堕すつもりも皆無だ。
憚(ルビ:はば)かりながら、五流の私小説書きの端くれである以上、これはどこまでも自身の創作との関わりの中での、ひとつの文献目録たる意図がある。
この文献目録は、確かに世間的には些かマイナーな名が連らねられることにはなりそうだ。が、何も文豪ばかりが作家ではない。
尤も完全にマイナーでは、それはそれで意味がないものだが、〝ほどほどにマイナー〟ではあるけれど、私の中では重要な書き手の著書を取り上げてみようと云うわけである。
従ってこれは、何んら人様に対して〝オススメ〟する意味合いを含むものではない。その点は、題名にもハッキリと標示したつもりでもある。
で、その初っぱなに刻字するとなれば、それは私としては、どうしたって藤澤淸造の『根津権現裏』と云うことになってしまう。
この書は、間違いなく私の人生を変えた──なぞとは余りにも月並みな云い草で、言ったそばから気恥ずかしくなるものだが、しかし該書に限っては、どう自問自答してもそれが実感として、しみじみと、そして臆面なく出てくるのだから困ってしまう。
そうだ。確かにこの作は、私の人生を大きく変えたのだ。これを読んでいなかったら、それが幸であったか不幸であったかは別として、私は私小説と云うものを書いていなかったに違いないし、今も尚書き続ける意地は持たなかったことであろう。
最初に読んだのは、二十三歳のときである。その頃の私は、日雇いの港湾人足の仕事帰りには、大抵神保町か早稲田の古書店街に立ち寄るのが常だった。友もなく、女もいない日々の中で、それが唯一の娯楽であるところの〝読む本〟を入手するのと、酒を飲み始めるまでの消閑の手段として、これは欠かせぬ日課のようにもなっていた。
はなは早稲田の古本屋で、或る郷土文学全集の一冊に入っているものを、七百円で入手したのである。
田中英光の追尋(ルビ:ついじん)に夢中だった時期でもあるが、その藤澤淸造と云う作家の名だけは知っていた。英光に関する記述を目当てに購入した、作家の死を網羅的に紹介した古雑誌中に、かの人物の〝のたれ死に〟も、ほんの十数行がとこ費やされていたのだ。
全くの興味本位で、試しに購(ルビ:もと)めてみたのである。そしてアパートに戻って、早速に読んでもみたのである。けれどその折は、それなりに惹かれるものはありつつ、左程の感銘も受けなかった。
それもそのはずで、この本に収録されていた『根津権現裏』は全体(約五百枚)の半分以上がカットされた、無惨な抄録であったのだ。
なので該作との縁は、本来ならばこれで終わるはずのものだったが、その後私のただ冴えない環境はますます自堕落なものになり、田中英光の小説からも、その遺族のかたと揉めたことから離れざるを得なくなった上、更に二十九歳時には、人様に暴行を加えて再び留置所で十日間を過ごすことと相成った。
このときに、私は初めて自分の人生の、あらゆる意味での惨めな敗北を覚ったのである。
するとふいに、以前読んだ〝藤澤淸造〟を、たまらなく読み返したくなった。この人は、いわば〝人生の敗残者〟の大御所である。今度は抄録なぞではなく、原本で、全文にありつきたかった。
悪いことに、これは古書の世界ではなかなかの稀覯本だった。が、無理な借金をして、まずは売価三十五万円のその書を、すがる思いで手に入れたのである。(第1話)
呉承恩 田中英光『西遊記』
〈無頼派〉の一人にかぞえられる私小説作家、田中英光には『我が西遊記』と云う作がある。
これは有朋堂文庫の『絵本西遊記』を底本とし、戦時下の昭和十九年に櫻井書店より上下巻に分けて刊行された千二百枚の大作で、用紙事情の悪い当時に、それぞれ一万部ずつ刷って他の作家を羨ましがらせたと云う話もあるが、この著者の刊本としては古書店等でも比較的手に入れ易い。
私がこの上下巻の揃いを購(ルビ:もと)めたのは、昭和六十二年の晩秋の頃だったと思う。前年にひょんな流れから該私小説作家の作を知り、急速にのめり込んでいった経緯が、その時分には〝田中英光〟の著作はすべて元版で揃えることを決意していた。この人が生きていた時代に刷られ、その人が目にしたと同じ本で読むことも、また一つのアプローチの手段であるように思っていたのである。
神保町の近代文学専門の古書店で、割合状態の良いものが一万五千円で入手できた。日雇いの港湾人足仕事も、その日当がウナギのぼりになっていた時期だから、二時間ほど残業すれば一日分の賃金で購入できたのだ。
で、すでに『田中英光全集』で既読なのに、やはり初版本で読むのはまた格別の興趣──と云うか、感慨があったのである。全四十章からなる英光版〝西遊記〟に、私は酔い痴れた。バイトを終え、そのまま外で酒を飲んで飯を食べ、さて三畳間の部屋に戻ってくると、すぐと寝っ転がってこの書を取り上げる。
繰り返すが、再読である。数箇月前に、『全集』ですでに読んでいる内容だ。けれどそれなのいん、面白くてたまらない。面白過ぎて、すぐにまた全部を読み上げてしまうのが勿体なくて、だから一日に読むのは二章分までとした。こんな読みかたをしたのは、後にも先にもこの『我が西遊記』一作きりのことだ。
確かに作中には、時節柄の戦意昂揚の意図が色濃く滲んではいる。一部の識者からみれば田中英光の問題点ともなる、時流に迎合した国策小説の趣きがあることも否めない。
しかしその点も含めて、私はこの小説を英光版の西遊記として、純然たる娯楽として熱狂した。熱狂、とはちと大袈裟に過ぎる云い草かも知れぬが、上下各巻に自ら原稿用紙二十枚分もの〈序〉文をつけ、同じく二十四枚分もの〈跋〉文を付して、この成立過程とこめた思いを吐露している熱意の前には、それを好む者としてはあらん限りの熱狂をもって読まなければ、読者として損である。
今も時折、この書を開くことがある。が、さすがに往時程の熱狂はなくなっているのは、これは当然と云えば云える現象でありつつ、些か寂しいことでもある。
ところで、この英光版の〝西遊記〟と云うのは、戦後にもわりと人知れず新たに叙されている(戦前にも、その無名時代に発表した「我が西遊記の一節」と云う散文詩はあるが)。
先の芳賀書店版の『全集』の詳細な年譜にも、昭和二十三年の頃に、〈八月 『我が西遊記』(世界名著物語文庫)を新文社から刊行〉の一節が記録されている。
しかし、全集の本体の方には未収録であり、この原稿の書もなかなか目にすることができず、二十数年前には、どこかの大学の講師をしていた〝自称無頼派文学研究者〟(故人になっているらしいが)に、本当にこの本は存在するのかを尋ねてみたところ、『我が西遊記』の合本文庫版として間違いなく出ている、なぞと答えていたが、これは大ウソなのであった。
実際は『我が西遊記』とは全く異なる新たに書き直した作であり、書名も『西遊記』、著者名も表紙や扉には呉承恩の名が併記された、僅か百三十二頁の文庫本である。
しかしこの書にも、またもや新らしく英光による〝解題〟が付され、そこには〈私はこれからただ西遊記の梗概訳を短く書くことで、西遊記の生命のぬけがらのようなものを読者につたえたくない。(中略)たとえ西遊記の形骸を伝えることはできなくても、西遊記の生命のようなものを私を通して、読者にお伝えしたいと思う。〉(原文旧字旧カナ)との思いが記されている。
内容としては『我が西遊記』を読んだ後では当然もの足りなさを感じるが、英光の中国文学の異様な造詣の深さを知る上で、『我が水滸伝』(昭23 新紀元社)と併せた三部作として読むのがいい。
ところでこの『西遊記』、先の『全集』年譜中では、昭和二十三年の八月刊とあり(書名は誤まりであるが)、最近あらわれた英光の書誌中には、昭和二十二年七月刊との異なる説がある。
これはいずれも正しく、そしていずれも不備な情報になっている。この本にはその各年月日(前者は八月二十日、後者は七月二十日)〝初版〟発行の二種類があるのだ。と、云っても共に体裁はまったく同じであり、昭和二十三年版は前年版の実質再販売本ではあるのだが、紙型をそのまま流用したとは云え、〝再販〟表記がない以上は、やはり書誌的には各々別個のものとしてとらえるべきであろう。昭和二十三年版の方には薄いカバーが付いていることも、余り知られてはいまい(今回の書影に掲げたもの)。そしてこの版は定価が十七円からいきなり三十円にハネ上がっている辺り、終戦直後のインフレの凄まじさを如実にあらわしてもいる。
著者略暦
西村賢太(にしむら・けんた)
一九六七(昭和四十二年)七月、東京都江東区生れ。中卒。二〇〇四(平成十六)年に同人雑誌発表の「けがれなき酒のへど」が『文學界』に転載されてデビュー。二〇二二(令和四)年二月五日、急逝。
『誰もいない文学館』
西村賢太
文豪ばかりが作家じゃない!
藤澤淸造から田中英光、倉田啓明まで──小説にすがりつくように生きてきた私小説書きが、自身にとって重要な作家と書物を紹介する偏愛書録。
「小説現代」連載の「誰もいない文学館」と「本の雑誌」連載の「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち──幻の筆跡を通じて」を収録。
定価1980円(税込)
■四六判上製 ■176ページ
■978-4-86011-471-8