本屋さん本を整理していて考えたこと
本の整理をしていた。
数年前の本屋さん本ブームの頃、いろんな本に手を出した。その中で、まだ全部読んでいない本があるなあ、と頁をめくり出したら、案の定、止まらなくなった。そのまま読了した。
本屋さんをやりたい人向けの、その本。こんなにすらすら読めるのに、なぜあのころ途中で読むのを辞めていたのか。
人生って思うに任せないよなあと、もやもやしていたことを思い出した。
四十代半ばだった五年以上前。私も本屋さんをやりたいひとりだった。
このままパート事務として働き続けても未来のない現実に、新しい風を吹かせたかった。なので、パートと子育ての傍ら、本屋さんの勉強を始めた。
書店員に転職して実務経験を積むことがベストだとわかっていたが、現実的な路線には思えなかった。それは、本に関わる仕事の求人を見ても、とても子どもを養っていけそうになかったから。
最低賃金、短時間・夜間・土日祝日勤務、各種手当なし。シングルマザーがうかつに踏み込めない、地雷原に思えた。
当時子どもは二人とも未成年……というか、下の子はまだ小学生だった。頼れる親族は近くにいない。
そして、本屋さんの勉強を始めてすぐ、私には無理だと思い至った。
離婚後、書店や図書館で働く選択肢もあったのに、なぜ内勤の事務パートを選んだのか。待遇面での問題のほかに、DV経験者であること。
離婚して10年以上経っても、すべてを過去のことにはできない。怖い。元夫に偶然会ってしまうことも、居場所を知られてしまうことも。
毎日店頭に立って、自分がここにいると知らせること。それは恐怖でしかない。誰でも入れる店舗に、必ずいる自分。仕事だから逃げ場はない。
本屋さんに限らず、小さな店舗経営をやりたい人に、住宅兼店舗をすすめるコンサルさんは多いけれど、それは身の安全が前提の上での話。DV避難者でなくとも、独身女性がやるリスクは高いと思う。家まで晒すわけだから。
そういうのって、男性にはピンと来ないのかな……。
また、昔ながらの自営業がなんで「三ちゃん企業」って言われるかって、「ちゃんづけで呼びあえるような仲間が三人いないと、事業と家庭の両立は無理」だったからじゃないかと、気がついた。
ひとり経営で店舗をやっている人は大勢いる。でも、大抵若い人だったり、独身だったり。少なくとも家事・育児・介護を背負っていない人ではないかと。本屋さん本を書ける人が、たまたまそういう人だったのかもしれないけれど。
家事や育児との両立が大変だったら、仲間を増やせばいいだけの話かもしれないけれど、私はそこも慎重になってしまう。どこに密告者がいるかわからないから。仲良くしていたママさんの配偶者が、実は元夫と同じ地元の出身だった……それだけのことが、引っ越しを考えさせる。
自分の所在がバレたら。すべてがそこで止まる。その先はない。
頭を切り替えよう。
本屋さんは薄利な商売だから、小さく始めるのがいい。これはわかる。
ましてや、地球環境破壊を止めなきゃいけない時代。
このま 大量生産大量消費を続けたら、地球がもたない……となったら。大型資本による世界規模のサービスではなく、地に足の着いた、ご近所さん同士で経済を回す方が、生き延びる確率が上がるように思える。
輸送も移動もCO2排出コスト。電気自動車ならいい、なんて単純な問題じゃないから。商圏を小さく、支え合う社会に移行せざるを得ないかもしれない。コロナ禍の今のように。
資本主義は拡大再生産が前提だから、現状維持とは相いれない。
資本主義は資本家による搾取が構造に内包されているから、支え合いの社会には向かない。
だから個人的には、何でもかんでも商品にしてしまう、今どきの本屋さんの手法にはひっかかるものがある。反面、無形サービスを商品にしないとやっていけないような、本を売るだけでは本屋さんがやっていけない現状にも、なんだかなと思う。
今、本屋さんをやりたい人たちって、本当に本が好きな人たちだと思う。本に対する思い入れは、きっと私など足元にも及ばないくらい強い。
甘いかもしれないけど、本を読む人が「本屋も改革をしなきゃいけない」と、ビジネス路線に走るのって、いわば自己責任論寄りの方向に下ることだから、諸刃の剣じゃないかなという気がする。
本が好きな人って、人文学的思考傾向があったりするでしょ? 小説が好きだったり、歴史や哲学も気になってたりしません?
でも、そういうのと自己責任論の新自由主義って、水と油では?
だから、計算されつくしたお洒落なブックカフェって、素敵だなあとは思うんですけど、落ち着かない。
もちろん、汚いお店よりきれいなお店の方が断然居心地いいんですけど、あんまり革新的だと、紙の本を読みたい保守派には、合わない。
私だけかもしれないけれど、カフェって回転率を考えちゃうから、とてものんびり珈琲飲みながら読書なんてできないし、さっさと飲んで席立たないとお店の利益にならないじゃんって思うと全然珈琲も味わえないし、だったら珈琲の代金分も本買って家でくつろぎたいわって思っちゃうので、カフェ不要派。その分、本を置いてくれ。
だいたい、ブックカフェで優雅に本を読みながら珈琲を飲む……というイメージが、本屋さんで本を買って読むこと=趣味人の嗜み、みたいな方程式をつくってませんかね?
だから、内気な青少年の本屋さんに対するハードルを上げちゃった。チェーン店しか怖くて入れない……なんて子もいるので、実際。
とはいえ、本屋さんがどんどんつぶれて、Amazonとかメルカリとかを駆使しないと本が買えなくなったら、困るのは民衆なわけで。困らないよ? って思ってる人もいるだろうけど、そんな目先の個人的な話じゃなくて、社会として、本に触れて日常的に学ぶ場というのがなくなると、ずる賢い連中にどんどん支配されるだけだから。
だから、やっぱりみんなで何とか本屋さんを守っていけるような仕組みにした方がいい。
本屋さんが、あの手この手で無理矢理商品をつくって、大量生産大量消費しなくても生きていけるような、持続可能な方法を。
だって、本をたくさん買うっていう行為そのものも、持続可能な社会にして行こうとするなら、違和感残りません?
必要なものと余剰の境目なんて、ホント曖昧でしかないのだけれど、とにかく大量販売し続けないと現状維持できない……っていうのは、もうもたないと思うので。地球が。
だから、この先どうなるかわからない……という不安は、本の業界にものしかかってくるんだろうなあ、とは思います。怖いね。
私は本屋さんの店舗を構えることはできないけれど、本には触れ続けたいし、若者の未来も守りたいので、できることをやっていくしかないんだよね。どうせ先に死んじゃうんだしさ。
本も本屋さんも守りたいし、本を読むことで守られる民衆の権利の存在も守りたいから、私も本を読んで言葉を出し続ける。
そういう人がいっぱい増えていったら、多分、世界はそんなに悪くならないんじゃないかと思うよ。楽観的かもしれないけれど。