「自分がまちがえていないか心配な人」へ処方する本
いつからこんなにも自分の言動に怯えるようになってしまったのか。
SNSでも現実でも、あなたが何気なく放った言葉や行動が相手を傷つけてしまう。他人の心を傷つけただけでもおおごとなのに、「お前の言動はまちがっている!」ということを多くの見知らぬ人たちから強い言葉で指摘され、あなたも心に傷を負ってしまうことだってある。
自分の言動が相手を傷つける刃物になること。
一度まちがいを犯したら心がぺしゃんこになるまで、他人から責められること。
このことに気づいてしまったあなたは、もう無邪気にお喋りしたり、自由気ままに行動していたあなたにはもどれなくなってるんじゃないかな。
頭の中には怖い検閲官がいて「今の言動はまちがえている可能性があるぞ!」と四六時中警告を出してくる。
いつになってもピーピー音が鳴り止まないスマートフォンを手放したいのに、手放せなくなっているあなたは、自分のすべてがまちがっている気がして、どんどん心を丸めてちいさくなっているんじゃないだろうか。
そうして、「言葉」を手放してしまう気持ち、よくわかる。
なにを言っても、なにをしてもまちがっていると他人に指摘されるならもう部屋の中に引きこもってしまいたくなるよね。
でも、それは大事な「あなた」を自分から手放してしまうのと一緒の意味でとても危険。
「まちがった言動」と同じくらい、いや、それよりも危ないことだと私は思うんだ。
じゃあ、どうすればいいのさ。
あなたは先が見えないほど暗い獣道に取り残された気分になるかもしれない。
そんなときは、冒頭に引用したパディントンの言葉を思い出すといいんじゃないかと、私は提案してみる。
ペルーからロンドンにひとりでやってきたクマのパディントンは、いつもまちがえて、事件を起こす。
けれど、本人は「そういうたちのクマなんです。」と一種、割り切ったようなことを言うんだ。
このクマ、見事なものだと思わない?
そして、周囲の人たちはパディントンに対して基本的に温かい。
きっと、パディントンに悪気はないことと「誰でもまちがって当たり前」ってことをよく知っているんじゃないかな?
今、現実でもネットでも「白黒つける」ことが流行ってるけど、実際の物事ってそう簡単に「白黒つける」ことはできないよ。
だって「白黒つけたがってる側もまちがいを犯す人間」なんだから。
もちろん、何度も同じまちがいを犯してしまうのは褒められることではないですけどね。
でも、私もあなたも「まちがえる生き物」なんですよ。そういう「たち」なんです。
もっと、あなたを見張る検閲官を休ませてあげたらどうだろう。
もっと、他人のまちがいに温かな眼差しを向けるようにしたらどうだろう。
「まちがえる」ことが、どうしようもなく心配になった人には、心がゆるまるように『くまのパディントン』を処方するね。