ため息
どれだけ心身がぼろぼろになっていても、それをおくびにも出さない人がいる。一方、実際はさほど辛くなくても、オーバーに辛いことをアピールする人もいる。
私の友人・知人には、前者のタイプが多い。疲労が限界値を越えて溢れ出し、当人にはどうしようもなくなったときに、初めて周囲の人間が異変に気づき始める。
限界値を越えてしまった心身を回復するのには、時間がかかる。むしろ、時間をかけて回復できるのならまだいい方で、心身が故障したまま、もう元には戻れないケースも少なくない。私の周りにも、そうなって苦しんでいる人がいる。
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実際はさほど辛くないのに、周りに「辛いわー」とため息混じりに愚痴る。このタイプの人も、周囲にいなくはない。そういう人たちとどう向き合っていくか、ということに関しては、私の中にも姿勢の移り変わりがある。
引用したのは、矢沢宰の「ため息をつけば」という詩(以下、本詩)。
矢沢は、1944年生まれ。14歳で詩作を始め、腎臓結核の闘病生活の中、作品を作り続ける。彼は、21歳の若さでこの世を去った。
本詩との出会いは、数年前、ある読書会で知り合い、仲良くさせてもらっていた年配の男性に教えてもらった。男性は、手元にあった紙片にすらすらと書いて示せるほど、本詩を頭に刻み込んで、大切にしていた。
私も本詩のメッセージには、強く心を惹かれる。矢沢宰の人生を知ってからは、更にその想いが強まった。
……ただ、ただである。私の周囲で、愚痴を漏らさず耐えた結果、倒れ込んでいく友人たちの姿を見るにつけ、本詩には留保付きで賛同しなければならない、と思うようになった。
会うたびに、友人が「はぁー」とため息ばかりしていたら、たしかに鬱陶しい。ただ、それが何かしらのストレス発散、疲労回復につながっているのであれば、あとでぼろぼろになって寝込まれるより、大分ましである。
ほどほどであれば、友人の愚痴ぐらい聞こうではないか。その見返りに、自分の愚痴も聞いてもらえばいい。
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