河津桜とメジロ|文=北阪昌人
緑の香りを、胸いっぱいに吸い込む。冬の姿は影を潜め、春の匂いが満ちていく。
私は川沿いを歩きながら、桜を愛でる。文豪、川端康成も愛したここ河津温泉郷の河津桜。深い桜色が風に揺れている。
今、私の胸がドキドキしているのは、40年ぶりの再会が待っているからだ。短大時代の同級生、池澤美奈子と会う。この地は、一緒に卒業旅行で訪れたところ。40年……美奈子はどんなふうに変わっているだろうか。そして、私の姿は彼女の目にどんなふうに映るだろうか。思いをめぐらせて天を仰ぐと、真っ青な空が広がっていた。
私は短大を出ると、商社に就職した。そこで今の夫に出会い、25歳で結婚。夫の赴任地、サウジアラビアで長男を出産した。世界中を転々として、日本に戻って来たのは40歳を過ぎてから。長男は就職し家を離れ、気がつくと定年を迎えた夫と2人きりの暮らしが始まっていた。
美奈子は食品会社に就職したが、5年ほどで辞めてしまった。日本各地の生産者と販売店をつなぐネットワークビジネスを起業。最初は3人だった社員も今は200人を超える会社に成長した。お互い、忙しさにかまけて、会うことはなかった。年賀状だけのやりとりが続いていたが、彼女の忙しさは想像できた。去年、体を壊し入院。幸い手術もうまくいって現場に復帰した。今回の旅行は彼女の快気祝いも兼ねていた。
背後に足音がした。振り返ると、そこに、美奈子が立っていた。
「ひさしぶり」
笑う時にできる目じりの皺がなつかしい。
「ひさしぶり」
私も笑顔で言った。
40年前も、こんなふうに川沿いを歩いた。桜の濃いピンク色と菜の花の黄色が目を楽しませてくれる。
「40年ぶりって、なんかすごいね」
美奈子が言った。
「そうだね、お互い、いろいろあったけど、よくもまあ、無事に生きてこられたね」
私がそう言うと、彼女はおかしそうに笑った。
思ったより、話すことはなかった。学生時代の思い出も、これまでの道のりも話す必要がないような気がした。こうして並んで歩くだけで十分だった。
「あ」と美奈子が歩みを止める。
「え?」
彼女の視線の先をたどってみると、桜の木に1羽の鳥が見えた。緑色の可愛い小鳥。
ピーチュルチー。奇麗な声で鳴く。メジロだ。
「あの声、40年前も聴いたね」
そうだ、確かに聴いた。
ピーチュルチー。今はなぜか、メジロのさえずりが胸に沁みる。ふるさとに戻ってきたような、ホッとしたような気持ちが体中にあふれた。
「変わらないね、あのさえずり」
美奈子が優しい声で言った。
メジロの声を聴きながら目を閉じる私たち。砂時計の舞い落ちる砂のように、桜の花びらが、ゆっくりと、私たちに降りてきた。
※この話はフィクションです。次回は2022年5月頃に掲載の予定です
出典:ひととき2022年3月号
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