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人生を旅しながら発酵に出会うまで(発酵デザイナー・小倉ヒラク)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年9月号より)

 1年ほどフランスに住んだのが20歳のとき。きっかけは、高田馬場のギャラリーカフェで、クロアチアの画家ミルコと仲良くなったこと。その後、パリのギャラリーから「ミルコから聞いてる。1年、こちらに住むんだろ」と手紙が来た。僕は住むとは言ってないけど、もともとバックパッカーをしていたし、これも縁だと大学を休学してパリに向かいました。現地ではミルコに弟子入りし、たまに彼の息子のベビーシッターをしながらフランスとイギリスで展覧会をしたら、結構絵が売れた。リーマンショック前、ヨーロッパはアートバブルだったんです。

 日本に帰って、今度は上海の開発事業を手伝ったりしているうちに、無職のまま大学を卒業。パリでヨーロッパの濃い要素を浴びたから、今度はまた違う国のことを知りたくなり、東京の三鷹市でゲストハウス経営を始めました。旅に行けないなら呼べばいいという発想です(笑)。でも、ゲストハウスが海外旅行者の間で有名になって、毎週末、大勢でパーティー。そんな生活が続くと、人生袋小路に入った気もしてきた。1回ちゃんと働こうと、スキンケアの会社でインハウスデザイナーになりました。

 26歳で独立したとき、元同僚から「五味醤油」という醤油蔵のデザインを頼まれました。それが評判になって、醸造蔵や農家から依頼が続き、テントと寝袋を持って現地に行って、田んぼを手伝いながら、地元の印刷屋さんにデザインを納品するという謎のライフスタイルになりました。

 転機は先述の元同僚の紹介で発酵学の第一人者・小泉武夫先生に出会ったことです。先生は、遊び過ぎと働き過ぎで弱っていた僕を一目見て「発酵食品を食べなさい」と。その通りにしたら、本当に体が元気になってきました。発酵って面白い。僕は微生物の世界でいこうと決めた。それが20代の締めくくりでした。

 失敗もいっぱいありますよ。自分が作った会社から追い出されたこともある。でも、僕にはゲストハウスに寝られるソファがあって、そこに戻れば大丈夫って思ってた。滅茶苦茶な20代で出会った世界中の〝馬の骨〟たちも、キャスターや社長になったりしています。今は再会が楽しいです。

談話構成=ペリー荻野

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左から4人目が小倉さん。千葉の日本酒蔵、寺田本家で

小倉ヒラク(おぐら・ひらく)
発酵デザイナー。1983年、東京都生まれ。早稲田大学で文化人類学を、東京農業大学で発酵を学ぶ。東京・下北沢にある発酵食品のカフェショップ「発酵デパートメント」オーナー。著書に『てまえみそのうた』(農山漁村文化協会、グッドデザイン賞)や『発酵文化人類学』(木楽舎)など。発酵学の伝道師として活躍中。

出典:ひととき2021年9月号


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