ボスフォラス海峡で味わう海の恵み|イスタンブル便り
この連載「イスタンブル便り」では、25年以上トルコを生活・仕事の拠点としてきたジラルデッリ青木美由紀さんが、専門の美術史を通して、あるいはそれを離れたふとした日常から観察したトルコの魅力を切り取ります。人との関わりのなかで実際に経験した、心温まる話、はっとする話、ほろりとする話など。第1回は、ヨーロッパとアジアを隔てる要衝の地・ボスフォラス海峡を望みながら、海の恵みを味わいます。
九月のある土曜日、黒海岸の小さな街に出かけようとパオロ騎士(私の夫である)と車に乗った。黒海といっても、アジア側のわが家からなら車で30分も行けば着くくらいの距離である。それでいて都会を離れた鄙びたかんじがあって、週末の気散じにちょうどよいのだ。
どこか海辺のレストランで遅めのお昼に魚でも食べて、ぶらぶら散歩して、と考えながら助手席に座り、車が動き始めた、とたん。
「あああっ!」とパオロ騎士 。
「どうしたの?」
「僕、3時にガラタにいないといけないんだった」
「ええええ?!」
ガラタとは、イスタンブル中心部旧ジェノヴァ人の居留区、黒海とは反対方面である。今から行って帰ってくることは不可能だ。
連載初回から恐縮だが、こういうことはジラルデッリ家によくある。予期しない時に予期しないことが起こるので、毎回大人げなくいらっとしてしまうのだが、今日は天気がいいので珍しくスルーして、気の向くままボスフォラス海峡沿いに車を走らせることにした。
行きつけ、というほどではないが、たまに行く店がある。今では数少なくなってしまったが、漁村だった頃の雰囲気がまだ残っている、きどらないところだ。
「水際がいいんだけど、日陰に座りたいなあ」
波しぶきがかかるほどの水際に座るのが好きなのである。そんなわがままな注文も、顔見知りのガルソンは、心得ている。
ちらほらとお客のいる日向ではなく、誰もいない離れた区画に案内され、しぶきが飛んでくる隅に陣取った。鈴懸の木陰である。
座ると目の前に、 アジアとヨーロッパ、二つの大陸が一望のもとに飛び込んでくる。左手にルメリ城塞、右手にアナドル城塞。オスマン帝国のコンスタンチノープル攻略時の二つの城塞である。完璧だ。
15世紀半ば、オスマン帝国のメフメット2世によって建造されたルメリ城塞
なぜかむくむくと、万能感が沸き起こってくる。
そこにある船着場から船に乗れば、大海に漕ぎ出すこともできる。その可能性を手中に持って、でもほんのひとときのあいだ、ここに座っている、という感覚。
「一番いいテーブル選びましたね」
ガルソンがやって来た。
「今は何食べたらいいの?」
「パラムートが出ましたよ、いつものように鱸もあるし、鯛もあるけど、旬といえば、イスタヴリットですね。ほら、ここからとって、すぐに台所へ、ってわけですよ」
見ると釣り人たちが、三々五々海岸沿いに立って竿を傾けている。
「イスタヴリット! それ食べよう、だけど、パラムートはもう解禁になったの? まだ脂が乗ってないんじゃない?」
小魚のイスタヴリットは鯵の一種、フライが美味しい。パラムート(西洋カツオ)はイスタンブルの秋の到来を告げる風物詩だが、寒さがやってくるころに脂が乗りだす。
「よくご存知ですね、だけど出はなを食べるのもいいものですよ、フライを作らせましょう」
待つあいだ、上機嫌でボスフォラス海峡を眺める。風は北西。ちょうど左向かいから吹いてくる感じである。まだ残暑があるが、この隅は、しばらく座っていると肌寒くなるほどだ。
ふと海面を見ると、あることに気がついた。
ちょうど目の前の釣り人、さっきから竿をしょっちゅう入れたり出したりしている。びっくりするほどの頻度である。出した時には、キラキラと銀色の葉っぱのように跳ねる魚たちがくっついている。
「何の魚なんですか?」
「イスタヴリットだよ」
これから食べようと待っている魚ではないか。見ると、すぐ足元の水面に、灰色の魚の影が動いている。
「あっ、こんな近くに! これですか?」
「いや、水面に近いところにいるのは、ケファル(鰡の一種)、イスタヴリットは、その下にいるんだよ。ほら、黒いのが見えるでしょ?」
「餌は何を?」
「糸くずみたいな疑似餌だよ」
つまり餌代無料で、入れ食い状態なのである。
ボスフォラス海峡の、なんという豊穣。
海峡の南に、切れ込むようにつながっている三角形の海の切れ端は、金角湾と呼ばれる。夕陽に照らされ金色に光る風景を連想するが、それだけではない。一説には、その名前の由来は、魚が豊かで犇めいてその背が光るほどだから、という。
今日の海峡は、魚が重なり合ってチャプチャプ跳ねるほどである。
「すごいですね。いつもこうなんですか?」
釣り人は笑った。
「ここ2~3ヶ月、毎日がんばってたけど、さっぱりだったね。こうなったのはちょうど昨日から」
船着場とレストランの水際が作る角に、ちょうどいい具合に風向きがはまっている。
「へええ、じゃあ、今日はわたしたち、特別な日にちょうど行き合ったんですね、運がいいんだ」
釣り人は頷いて微笑む。
「あ、それとも、わたしが来たから、風向きが良くなったのかな? きっとそうですよ、大漁はわたしのおかげですよね」
「そんなことないよ、昨日から、って言ってるんだから、君のおかげはありえない」と、パオロ騎士 。
「それをいうなら、僕が約束を忘れたから、ここにくることになったんでしょ、僕の忘れんぼのおかげだ」
まったく、ローマ人(パオロ騎士はローマ出身だ)の自己肯定感の強さには、付ける薬がない。そして、イスタンブルは第二のローマである。
トルコ語に、ラスゲレ(rastgele)、という言葉がある。漁師が魚を獲るときに、大漁を願って唱える縁起担ぎの言葉だ。
偶然がやってくるままに、あるいは、運を天に任せて。訳すなら、そういう感じか。
大海に網を投げ、そこに偶然やってくる何かを待ち構える。
とびきりの魚がかかったら、その日はごきげん、しょぼくても、何もかからなくても、そういうこともある。人生とはそういうもの。
しかし大切なのは、網を投げかけるということだ。投げかけなければ、何も始まらない。イスタンブルは、そういうヒントに満ちた街だ。
テーブルに届いた揚げたてのイスタヴリットは、骨まで柔らかく、微かに甘みがあった。
文・写真=ジラルデッリ青木美由紀
ジラルデッリ青木美由紀
1970年生まれ、美術史家。早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。トルコ共和国国立イスタンブル工科大学博士課程修了、文学博士(美術史学)。イスタンブル工科大学准教授補。イスタンブルを拠点に、展覧会キュレーションのほか、テレビ出演でも活躍中。著書に『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』(ウェッジ)、『オスマン帝国と日本趣味/ジャポニスム』(思文閣)を近日刊行予定。
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