しじみを選り分ける音|文=北阪昌人
音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第8回は、故郷から足が遠のいていた息子と、しじみ漁を営む寡黙な父との再会を描いた「しじみを選り分ける音」です。(ひととき2022年1月号「あの日の音」より)
久しぶりの宍道湖の夕陽は、やはり美しかった。これほどまでに赤くせつない色があるだろうか。そして、赤に入り込む紫のように、懐かしさに言いようのない負い目が混じる。
八百万の神々が息づく故郷、島根に帰るのは3年ぶりだった。実家は、しじみ漁をしている。父は今も舟に乗り、しじみ漁の漁師をやっているはずだ。父の仕事は弟の健二が手伝っている。僕は東京の大学を出た後、そのまま都内の建設会社に就職して、すっかり島根から足が遠のいてしまっていた。長男としての役割を放棄したような、妙な気後れがあった。
「今年の正月は、顔を出してくれよ」と弟から連絡があった。
父は相変わらず寡黙で、「おお」と言ったきりだった。母は、焼き鯖が入った郷土料理すもじを作ってくれた。しじみの味噌汁も最高に美味しい。
弟は3人の子どもを育てつつ、地元の青年団の団長になっていた。みんなが寝静まってからも、弟と僕は、ずっと日本酒を飲んでいた。
「父さんもさ、それなりに歳とったよ。たまにさ、健太とは連絡とってるのか? って聞くんだよね。兄貴に、やっぱり会いたいんだなって思うよ」
幼い頃から、父は何を考えているのか、わからない人だった。
「明日の朝さ、父さんの漁に、つきあってあげてくれないかな。お願いします」
弟は、急にあらたまって、そう言った。
翌日、早起きした。朝の5時。まだ、薄暗い。空気は冷たく、息が真っ白に吐き出され、消えていく。
宍道湖は、特別な湖。海水と淡水が混じり合う汽水。そんな環境でしか、ヤマトシジミは育たない。多くのミネラルを含むしじみは、出雲の山々の伏流水や川、そして海の恩恵を得た奇跡の貝だ。
舟の準備をしている父がいた。
「乗っていい?」
僕が訊くと、「ああ」とひとこと。
2人でしじみ漁にでた。朝陽が、水面でキラキラ光る。水を切る舟。水鳥が近づいては離れていく。夕陽もいいが、宍道湖の朝陽は、格別だ。
しじみを、ジョレンという籠ですくう。手伝いながら、思い出していた。こうして父と漁に出た幼い頃。岸に着いて、しじみの選別が始まった。平らな石に、しじみを落とす。その音で中身が詰まっているか、中で死んでいないか、選んでいく。
カチ、カチ、カチ……。小気味よい音が響く。父は耳をそばだてて集中する。カチ、カチ、カチ。その音を聴いていたら、急に胸がきゅんとなった。そうか、僕はこの音にずっと励まされてきたんだ。野球でレギュラーになれなかった小学生のとき、試験で悪い点をとって落ち込んだとき、受験で不安だったとき、いつも、父の隣で、この音を聴いていた。
僕も父を真似て、石にしじみを落としてみる。カチ、カチ、カチ。石の上で、貝がはじけとぶ。その音に重なりながら、父が言った。
「たまには、帰ってこい」。「はい」と僕は答える。
しじみたちは、僕の「はい」に応えるように音を奏で続けた。
北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。
※この話はフィクションです。次回は2022年3月号に掲載の予定です
出典:ひととき2022年1月号
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