高級ブランドも評価する ふわっとした風合いの「山栄毛織」の生地
世界で知られる毛織物産地・尾州
在宅ワークが定着して、めっきりスーツを着る機会が少なくなってしまった。もう必要ないとさえ言われている。いえいえ、そんなことありません。これからは仕事着ではなく、お洒落として楽しんで着ればいいのだ。
昔、イタリアのフィレンツェで取材したグレーフランネルのスリーピースを着こなしていた恰幅のいいテーラーや、ロンドンの街かどで見かけたツイードのジャケットがよく似合う老紳士。あんなふうにスーツを楽しめたらいいなぁ。
スーツの生地選びに欠かせないのが、服飾用語でミルと呼ばれる毛織物工場だ。有名なミルがある世界三大毛織物産地をご存じだろうか。イタリアのビエラ、イギリスのハダースフィールド、そしてもう1つが日本の尾州(びしゅう)。実は世界でも知られた毛織物の産地である。
尾州とは尾張国の別称で、現在では愛知県西部から岐阜県南西部に跨る地域のこと。上質な毛織物の生産には大量の水が必要で、ビエラにはアルプス山脈から流れ出る川、ハダースフィールドにはコルネ川とホルム川があるように、尾州にも木曽川が流れている。木曽川の水は染めや仕上げに適した軟水のため、この地域一帯は日本で有数の毛織物産地として発展した。国内の毛織物の約8割は尾州で生産されている。
なかでも尾州の最南端に位置する津島市の「山栄(やまえい)毛織」は、国内外をはじめ世界の一流ブランドから高い評価を受ける尾州産地を代表する老舗である。津島市は日本の毛織物発祥の地として知られるが、そこには明治時代に活躍した毛織物業界の父と呼ばれる片岡春吉の尽力があった。毎夏、華麗な車楽舟(だんじりぶね)で有名な尾張津島天王祭(てんのうまつり)が催される天王川公園には、功労を称えた銅像も建っている。
そこで今回は山栄毛織を訪ねて、愛知の津島市を旅してきました。
少量でも良いモノを
「元々服が好きですし、父の仕事を見て育ってきたので会社を継ぐことに抵抗はありませんでした。ただ、今は毛織物業界も織機をガチャンと1回動かせば1万円儲かると言われた、いわゆるガチャ万景気だった頃とは時代が違います」
やはりどこも大変なのはコロナ禍によるものだ。影響はありますか?
「もちろんありますが、うちはそれほどでもないのではと思います。というのも、父が1996年(平成8年)に中国製品との価格競争に巻き込まれないようにと、工場を現在の創業地に移転して規模を縮小してくれていたおかげです。山栄毛織が津島で100年以上もやってこられたのは、少量でも自分たちの考える良いモノをつくるという、モノづくりの精神があったからで、父もこれを貫きました。大きな工場と違ってうちは小ロットの注文にもこたえることができるんです」
山栄毛織の社名を一躍世界に広めたのは、高い毛織技術を買われて、名前を聞けば誰もが知っている海外の某高級ブランドからの注文を受けたことだ。
「私が大学生の時でした。父から外国のナントカというブランドから注文があったと電話がきたんです。最初に聞いた時は絶対に騙されてると思ったんですよ。本当だとわかって、改めて父の仕事と山栄毛織を誇りに思いました」
少量でも良いモノを
木曽八流の1つと言われる日光川がすぐ側を流れている山栄毛織の本社は、重厚な瓦屋根の母屋と、庭には立派な松の木と白壁の土蔵。門扉には「山栄毛織株式會社」と書かれた年季の入った表札が掛けられている。会社というより、昔の庄屋や名主さんのお屋敷のような趣のある建物だ。
「古い家ですよね。蔵に何が入っているのか開けたことがないので私にもわかりません。向かいの工場も、鋸(のこぎり)屋根と呼ばれる、昔のままの建物です」
そう言ってワレワレを案内してくれたのは、社長の山田和弘さん。ひと目見て「あ、この人は服好きだな」とわかる、スマートな山栄毛織の若き4代目だ。
創業1915年(大正4年)。和服に使う着尺(きじゃく)セル(*1)の生産から始まり、1924年、ドイツから織機を輸入して本格的に毛織物の生産を開始。1950~60年代にフォーマルウエアを中心に手掛け、世界初のブラックフォーマルを製織。無地の生地をいかに綺麗に丁寧に織り上げるか。そこで培った技術が、津島で100年以上の歴史を持つ山栄毛織のモノづくりの礎になっている。
2012年、先代の父親が急逝し、山田さんは社長に就いた。楽でないことはわかっていたが、脈々と続いてきた家業に大きな責任とロマンを感じたからだ。
これまで培った技術を生かしパンツブランドを
山栄毛織の最大の特徴は、レピアという高速織機を、あえてションヘルという古い低速織機と同程度のスピードでゆっくりと動かして織ることだ。
「手間がかかりますが、そうすることで繊維に空気が含まれて、ふっくらとした風合いのある生地に仕上がるんです」
シャカシャカシャカという織機の音でかき消されないように声を張り上げて、工場を案内してくれる山田さん。社長に就任したばかりの頃は、夜中に1人で工場に残って織機の勉強をしたという。
この春、山田さんは山栄毛織の技術を生かしてパンツブランド「Hakuro(ハクロ)」(*2)を立ち上げる。新たな挑戦だ。
「ずっと生地を作ってきて、世界にはハイクオリティーなスーツのブランドはあるけれど、ハイクオリティーなパンツのブランドはないと思ったんです。ならば自分たちの手で作ろうと、大人がお洒落にはける上質で、それでいて楽なイージーパンツを考えました」
そうきましたか。スーツも楽しみたいけど、やっぱり在宅ワークにはイージーパンツが楽チンでいいですよね。
いであつし=文 阿部吉泰=写真
出典:ひととき2021年1月号
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