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支えられて戦ってきた(元女子プロレスラー・北斗 晶)|わたしの20代|ひととき創刊20周年特別企画

旅の月刊誌「ひととき」の創刊20周年を記念した本企画わたしの20代。各界の第一線で活躍されている方に今日に至る人生の礎をかたち作った「20代」のことを伺いました。(ひととき2021年12月号より)

 高校生のとき、友だちに誘われてプロレスを観に行くようになり、新人女子レスラーの試合を目にして、「あたしの方が強い」と思っちゃった(笑)。17歳でオーディションを受け、プロの道に入りました。

 当時はクラッシュギャルズ(*1)が大人気で、3万5000人も応募があったそうです。親の反対を押し切って高校を退学したので、人生の大博打でした。でも、入ってすぐ、弱そうな先輩にひとひねりで倒されました。厳しい練習に耐えかねて寮を脱走しかけたこともあります。10円玉を握りしめて公衆電話から実家にかけたら、父が「帰ってこい」と。叱られると思ったのに、優しいんですよ。この一言で「帰れない」と思いました。

*1 1983年、ライオネス飛鳥と長与千種〈ながよちぐさ〉によって結成された女子プロレスコンビ

 19歳で堀田祐美子ほったゆみこさんと組んでWWWAスリーダブリューエー 世界タッグ王座を獲得しました。ところが、数週間後、防衛戦で首の骨を折った。再起は無理、レフェリーになったらと言われましたが、ファンの方たちが何万も署名を集めてくれて、復帰できました。ありがたかったですね。試合続きの20歳のころの記憶はほとんどありません。

 23歳から約3年間、メキシコでも試合しました。人気がないレスラーの島流しみたいなものです。言葉もわからないし、現地選手は私たちのせいで出場機会が減るから歓迎もされない。それでも後輩に弱いところは見せられず……と、苦しむ私を救ってくれたのは、会場でもぎり・・・をしていた女の子でした。家でごはんを食べさせてくれて、片言で話しながら家族で寄り添ってくれた。今でも彼女とは仲良くしています。

 20代半ば、「デンジャラス・クイーン」と呼ばれ、念願のヒール(悪役)になってからもケガが多く、欠場したいと思うときがありました。それでも試合に出続けたのは、中学生のときに大好きな近藤真彦さんのコンサートを何カ月も前からわくわくして待ち続けた自分を知っているから。北斗晶を観たいと思ってくれるお客さんがひとりでもいると思えば、休めないですよね。

 辛いことも多かったけど、私は戦うこと、動き続けることが好き。今、メキシコ時代に気に入ったサボテンで化粧品開発までしているんです。人生に無駄なことってないんだなあと実感しています。

談話構成=ペリー荻野

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第4回CMLL世界女子王座(*2)でベルトを獲得(1994年)

*2 メキシコのプロレス団体「Consejo Mundial de Lucha Libre」が管理する世界王座
北斗 晶(ほくと・あきら)
タレント、元女子プロレスラー。1967年、埼玉県生まれ。85年、全日本女子プロレスからデビューし、翌年全日本ジュニア王座につく。神取忍氏らとの対決マッチが人気を呼び、女子プロブームを牽引。プロレスラーの佐々木健介氏と結婚して2002年に引退。現在は2人の男の子の母として主婦業をこなす傍ら、タレントとして活躍。

出典:ひととき2021年12月号


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