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「全集中の呼吸」と剣術の関係|『鬼滅の刃』ヒットに潜む異界の符牒(2)

文・ウェッジ書籍編集室

昨年10月に公開された映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、公開から半年以上経過するいまもロングランであり、コロナ禍で苦境にあえぐ映画業界で「鬼滅特需」とも呼べるべき現象をもたらしています。コロナ禍のいま、漫画やアニメ、映画の作品を通して、あらためて世相と重ねながら「鬼」という存在を身近に感じた人も多いことでしょう。
節分行事や桃太郎伝説などで、もともと日本人には身近な存在であった「鬼」ですが、『鬼滅の刃』では従来のイメージを超えた新たな鬼の姿が描かれています。
この連載では、國學院大學准教授・飯倉義之先生が監修を行う鬼と異形の民俗学――漂泊する異類異形の正体(ウェッジ刊、7月17日発売)から、『鬼滅の刃』の登場人物などを民俗学的視点から読み解いていきます。2回目も前回に引き続き竈門炭治郎(かまどたんじろう)を取り上げます。

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剣客が腐心した息遣いと剣の間合い

『鬼滅の刃』のキーワードの1つに「全集中の呼吸」があります。竈門炭治郎が過酷な修業の末に体得した、呼吸法をベースとした鬼殺剣術の奥義のことです。それは「体中の血の巡りと心臓の鼓動を速く」する秘術であり、これを行えば「人間のまま鬼のように強くなれる」とされています(第5話)。

 もちろんフィクションの世界の話ですが、現実の剣術の世界でも、名立たる剣客(けんかく)たちは呼吸すなわち息遣いと剣の間合いのバランスに腐心してきました。そして呼吸と意識の集中との関係に着目し、精神の鍛錬にも貪欲に取り組んできました。とりわけ禅に興味を示した者が多かったようです。

 新陰流(しんかげりゅう)剣術の達人で3代将軍・徳川家光の兵法師範を務めた柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)は剣禅一如(いちにょ)の教えを説く禅僧・沢庵(たくあん)と深い親交を結んでいます。また、江戸八丁堀に道場を開いた針ヶ谷夕雲(はりがやせきうん)は、駒込・龍光寺に参禅して大悟し、無住心剣術を創始しています。

①柳生の里

天乃石立神社にある天乃石立神社の参道。竈門炭治郎が修行中に刀で真っ二つに切断した大岩に似た花崗岩の巨石がある(奈良市柳生町)。

 ほかにも天真伝(てんしんでん)兵法の祖となった白井亨(とおる)は、臨済禅の中興・白隠(はくいん)禅師の内観法(ないかんほう)を修行して、剣術を大成させています。

坐禅に究極の境地があると見た剣客たち

 特筆すべきは山岡鉄舟(てっしゅう)です。鉄舟は卓抜な政治家として知られ、当初は幕府に仕え、勝海舟の使者として駿府で西郷隆盛と会見して江戸無血開城の道を開き、明治維新後は明治天皇の侍従となり、厚い信任を得ています。

 その一方で彼は一刀流の優れた剣客であり、公務のかたわら剣術道場を開いています。さらに剣禅一如の境地を求めて参禅にはげみ、明治13年(1880)45歳のとき、大悟して天龍寺の滴水(てきすい)和尚から印可(いんか)を受け、あわせて無刀流を開いています。

②山岡鉄舟

「武芸を講じ禅理を修練する」という実父の教えもあり、鉄舟は剣術と禅の修行に励んだ。

 彼の言によれば、無刀とは「心の外に刀なしといふ事」であり、無刀流の極意とは「我体をすべて敵に任せ、敵の好むところに来るに随ひ勝つ」ことであるといいます。また、鉄舟はあるとき、剣の極意とは「施無畏(せむい)」、すなわち不安や恐怖から人びとを解放して絶対的な安心感を与えることだと述べたといいます。

 坐禅は、呼吸を整えて精神を安定させ、不動の心を保つところに要諦がありますが、多くの剣士たちは、そこに剣術の究極の境地があるとみたのでしょう。炭治郎も、「全集中の呼吸」の鍛錬のために坐禅(瞑想)に取り組んでいます(第50話)。

『鬼滅の刃』の舞台となっている大正時代に、呼吸や坐禅によって健康を保つ神通力を得るという、ユニークな健康法が催眠術や霊気療法とともに流行したことも考え合わせると、興味深いことです。

 ちなみに、山岡鉄舟は猛稽古や多くの試合をこなす超人的な心身の持ち主で、周囲からは「鬼鉄」と評されたといいます。

――鬼と異形の民俗学――漂泊する異類異形の正体(飯倉義之監修、ウェッジ刊)は7月に発売予定です。ただいまネット書店で予約受付中です。

【目次】
第1章 鬼と異形の系譜
―古典・伝説にあらわれた異類たちを読み解く
第2章 日本の闇に蠢く「異形のもの」列伝
―異界からの訪問者を総覧する
第3章 呪術者・異能者たちの群像
―怪異と対峙した「鬼殺隊」の原像
第4章 鬼と出会える聖地
―闇の民俗とパワースポットをめぐる
◎コラム
・鬼舞辻無惨と八百比丘尼
・竈門炭治郎と炭焼長者
・「全集中の呼吸」と剣術
・竈門炭治郎と竈門神社



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