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人に翼の汽車の恩 梶よう子(作家)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2023年5月号「そして旅へ」より)

 昨年は、鉄道開業150年という節目の年だった。様々な記念イベントが行われたのも記憶に新しい。

 先日、横浜に行く用事があり、その足で山手の外国人墓地へ赴いた。幕末、二度目のペリー来航の際、事故死した水兵を埋葬して以降、開港地横浜を支えた多くの外国人が眠っている。目的は、エドモンド・モレルの墓に詣でることだ。

 鉄道ファンならば、一度はこの名を耳にしているだろう。日本初の鉄道敷設に尽力したイギリス人の鉄道技師である。しかし、モレルは、開業1年前に、持病が悪化し、療養していた横浜で死去した。墓には彼のレリーフとともに、偉業を称える碑が建てられている。

 恐縮ながら、昨秋上梓した拙著『我、鉄路を拓かん』は、日本最初の鉄道にかかわった江戸の土木請負人を主人公にした物語で、もちろんモレルも登場する。お礼をかねての墓参が、ようやくかなった。もうひとり、やはり作中に登場する鉄道の父、井上勝の墓はずいぶん前にお参りした。東京・品川区にある東海寺に足を運んだ際の偶然である。墓は線路に隣接しており、おお、新幹線が見える、さすが、日本の鉄道の父! とかなんとか呟きながら合掌した。まさか、幾年も経ってから、鉄道の黎明期を描くなど思いも寄らなかったので、不思議な縁もあるものだ、と今になって勝手に思い込んでいる。

 主に、江戸を舞台にした小説のため、東京近郊を巡ることが多いが、まれに取材旅行に出ることがある。当然のことながら、物語とゆかりのある地だ。ビジネスでの出張と考えていただければお分かりの通り、同行するのは編集者であり、仕事であるから、観光はほぼ出来ない。現地でお話を伺わせていただいたり、郷土資料館にこもったりしているうちに一日が終了する。密かに携帯したガイドブックを、悔し涙とともに幾度、バッグの底に押し込んだことか。とはいえ、思い出がないわけではない。ある小説のための取材で訪れた先の宿はいまだに忘れられない。観光客で混雑する時期と重なったせいか、当初予定していたホテルが取れず、別の宿泊先に。

「本当にお部屋だけなんです」

 編集者の言葉に違和感を抱きながらも、扉を開けて、驚いた。

 トイレも風呂もない──。

 まさに言葉通り。本当に部屋だけだ。しかし、座敷は十六畳。テレビは50型くらい。我が家のリビングより広い! テレビもデカい! と心の中で絶叫した。夕食を終えて、部屋に戻ると、寝具が座敷のど真ん中に敷かれている。なかなかシュールな光景だった。おそらく団体用の部屋なのだろうと、開放感いっぱいの妙な贅沢気分でひとり眠りについた。

 日常では味わえない出来事に遭遇するのも旅だからこそ。日本に鉄道を敷いてくれたモレルと井上にあらためて感謝しなければ。

 次回作は、京都か福岡出身の主人公にしようかと密かに企んでいる。

文=梶 よう子 イラストレーション=駿高泰子

梶 よう子(かじ・ようこ)
作家。東京都生まれ。2005年「い草の花」で九州さが大衆文学賞大賞、08年「一朝の夢」で松本清張賞、16年『ヨイ豊』で歴史時代作家クラブ賞作品賞を受賞。「御薬園同心水上草介」シリーズ(集英社)や「みとや・お瑛仕入帖」シリーズ(新潮社)など著書多数。最新刊『我、鉄路を拓かん』(PHP研究所)が好評発売中。

出典:ひととき2023年5月号

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