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「気がついたらボロボロ泣いていました」一生に一度の挑戦の果てに|対談|岡本彰夫(春日大社元権宮司)×辻明俊(興福寺執事)#3

古都奈良の奥深い文化を紹介した、2冊の近刊が話題を呼んでいます。興福寺の365日(西日本出版社)を上梓したのは、興福寺執事の辻明俊(みょうしゅん)さん。日本人よ、かくあれー大和の森から贈る、48の幸せの見つけ方(ウェッジ)の筆者は、春日大社で長らく権宮司を務めた岡本彰夫さん。いにしえより縁の深い社寺で、神さま仏さまとともに過ごしてきたお二人に、春日・興福寺の歴史、行(ぎょう)に篭(こ)められた意味について語り合っていただきました。最終回の第3回は、「竪義(りゅうぎ)の所作とその意味」です。(→第1回から読む)

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左:岡本彰夫さん 右:辻明俊さん
2020年11月8日、奈良公園バスターミナルレクチャーホールにて

辻:竪義は慈恩会の法要が終わってから始まります。都維那(ついな)*による披露(呼び出し)があって、会場中央に歩み出ます。まず正面の慈恩大師に三礼してから、東の方、つまり春日社の方角を向いて三礼、そして東北の氷室社に向かって三礼します。

*都維那:堂内の大衆を統監する役

岡本:論題を見て、3歩下がって驚く所作がありますやろ。

辻:探題箱、梅枝をともなって探題が会場へ入ります。その探題箱の中に短冊が3本ないし5本入っていて、箱の蓋を開けて確認する所作があります。短冊には問題の1行目だけが書いてあって、それを見たとたん、3歩後ろに下がりよろめく。

昔の竪者があまりの難問に「できないかも」と心が折れそうになって、足元がふらついた。こういった所作を今も忠実に再現しているんです。

岡本:もともと所作としてあるわけですな。

辻:はい。その後、気を取り直して、短冊を箱から取り出して一本一本内容を確認、机に並べ、都維那と竪者が精義(せいぎ)*者の前で交差する、袖すり合わせという作法を行います。

*精義:竪者との重難を行う役。竪義の詳細な論究を吟味の上、合否の判定を下す。

岡本:それは、何でするんです?

辻:高座に上がる直前の所作なので、おそらく「カンニングペーパーは持ってない」という身体検査のようなもんですかね……。でも実際はよく分かりません。

岡本:高座には裸足で登るんですよね。

辻:真白な法服に裸足です。履いていた草鞋は自席でぬぎます。お堂の床は冷たいな~と思った記憶がありますね(笑)。それで無事に合格したら、あらかじめ用意されていた挿鞋(そうかい)*を履いて帰ります。

*挿鞋:僧侶が法要の際にはく木製の沓(くつ)。外側に錦が貼ってある。

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真白な法服に着替えた瞬間。一生一世の竪義、これに失敗すれば寺を去る覚悟をした。20時20分ごろ侍(さぶらい)*が行部屋に呼びに来て、会場までは探題と向かう。
*侍:寺に仕えるもの

岡本:合格しなかったら、裸足のまま追放される。

辻:合格しなかったら、不浄門(開けずの門)から追い出されていたと伝わります。いまは追放されない!?と思うのですが……。それでも前加行に入る際は、身の回りを整理整頓して、もし竪義に失敗したら寺を去る覚悟でした。

岡本:そこらが面白いんです。儀式っていうのは意味があるからね。裸足で行って帰りは靴履いて帰るということも、3歩下がって驚くのも、袖すり合わせも意味がある。あと、泣き節とかいうのもあるんでしょ。

辻:竪義は問答体が主となりますが、少し複雑な節がついている箇所もあるんです。師僧から教えてもらって、初めて唱えることができるようになる。節は大きく3つにわけることができます。

◎答弁の節の種類
切声:泣き節とも。難題を突付けられ、震え声で答弁した史実が形式化したもの
引声:自分の意見を述べる際に用いる
:相手の主張を確認するため、繰り返す際に用いる

正式には切声といいますが、声を震わせ、どこか自信なさげに答弁するんです。竪義は自身の進退をかける一生一世のことです。室町時代以降は固定化された論義を暗誦するようになりますが、それ以前の人は、難問を突きつけられて、泣きながら、声を詰まらせ答弁したんです。そういう史実が残っていますので、その泣き節も覚えて再現するわけです。

(竪義問答を)やってわかったんですけれど、当時の人の想念というか、そういう気持ちが入ってくるんです。これ、昔はあかんかったら追い出されるわけじゃないですか。高座の上で、気がついたらボロボロ泣いていました。

岡本:泣き節で答弁すると、実際に泣けてくるわけですな。

辻:前加行に入ると普通は何回か通し稽古を行うんです。が、私は一度も通し稽古をする機会がなかったので、より感情移入したのかもしれません。

岡本:春日大社もお手伝いするので、これまで様々な竪義の方を見せてもらいましたけど、辻さんは加行に入る前からお参りに来はった。ずいぶん丁寧な人やなと思ってたら、みごと合格しはって。

辻:ありがとうございます。最初に話した、春日さんの火(浄火)が“ぽん”って消えたことですけど、先生はどう思われますか?

岡本:火って、神さまの依代(よりしろ)ですねん。「ひ」は大和言葉ですよ。お日様の「ひ」もです。燃えてんのも「ひ」、霊魂も「ひ」。全て霊妙不可思議な存在は「ひ」なんですわ。それで「ひ」のことよう知っとんのが「ひじり」、聖です。だから、東大寺のお水取りの行でも、神名帳を読誦される前に、須弥壇のまわりの神灯(じんとう)に着火されてから、法螺貝を吹いて、全国の神々を勧請される。

火は神さまの依代なんです。辻さんの行も神さまが灯明に憑(よ)られて守られていたんですよ。

◎東大寺 お水取り(修二会)
http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie3.html

辻:本当にぽんって音が鳴って……ああいう経験は二度とないでしょう。だから一生に一度しか竪義に挑戦できないんかなと思います。

岡本:春日さんは、ずっと見てはったんやろうね。春日さんが実際に来て、ずっと見ていていただけるような加行だったんです。つまらん内容やったら、途中で還らはります(笑)。だから、それを知らせるために、浄火がぽんと音をさせてから消えはったんや。すばらしい話です。これは『興福寺の365日』に書かなかったんですか。

辻:竪義のことは、書けなかったです。たたき台はあったんですけど……。

岡本:もったいなくて載せられなかった?

辻:そうですね。畏(おそ)れ多くて。

岡本:そうなりまっせ。僕かて、神さん仏さんの事で書けへんこといっぱいあります。

辻:これまで先生に、いろんな言葉をいただきましたけれど、印象に残っているのは「祈ってるだけじゃあかんねん、行動しなかったら通じへん」という言葉ですね。祈りと行動の均衡。心に留めています。

岡本:僕、そんなこと言いましたか。近頃はモノ忘れがはげしくなりました(笑)。じゃあ、この辺で。ありがとうございました。

辻:ありがとうございました。

構成=石田彩子
写真提供=飛鳥園

▼ドイツ人僧侶・ザイレ暁映と挑んだ「竪義」の思い出

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竪義は一人で行うのではなく、童子が身の回りをサポートしてくれる。私の場合、ドイツ人僧侶の暁映房にずいぶん助けられた。彼がいなければ成功はなかっただろう。二人で朝から三合のお粥、昼には四合の白米を食べ、とにかくよく食べた

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竪義加行中のある日の食事。暁映房と二人で決めたのは、加行中は辛そうな顔をしないこと。二人の口癖は「有難い」「楽しい」だった。

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とても印象に残る一枚。体力も気力も限界に近かったが、一心同体とはこのことか、と後々振り返る。下駄を履いていないのは、春日山中で鼻緒が切れたため。草鞋もふにゃふにゃである。

※童子を務めたザイレ暁映は、2019年に竪義に挑み見事に突破した。

岡本彰夫(おかもと・あきお)
奈良県立大学客員教授。「誇り塾」塾頭。昭和29年奈良県曽爾村生まれ。昭和52年國學院大學文学部神道科卒業後、春日大社に奉職。平成27年6月に春日大社(権宮司職)を退任。平成5年より平成19年まで国立奈良女子大学文学部非常勤講師。平成25年より平成27年まで帝塚山大学特別客員教授。著書に『大和古物散策』『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』(以上、ぺりかん社)、『日本人だけが知っている 神様にほめられる生き方』『神様が持たせてくれた弁当箱』『道歌入門』(以上、幻冬舎)。

岡本彰夫さんのご著書

辻 明俊(つじ・みょうしゅん)
1977年生まれ、奈良県出身。2000年に興福寺入山。2011年に「竪義」を終え、2012年から興福寺常如院住職。2004年から広報や企画事業を担当、2013年、駅弁を監修し、日経トレンディ「ご当地ヒット賞」を受賞したほか、2014年、三島食品(広島市)と共同開発した「精進ふりかけ」がiTQi(国際味覚審査機構)の審査で、ふりかけとしては世界で初めて三ツ星を受賞する。現在は興福寺・執事兼境内管理室長。

▼辻 明俊さんのご著書


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