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金子みすゞのさみしさを想う。──西山厚『語りだす奈良 1300年のたからもの』

2014年まで奈良国立博物館で学芸部長をつとめ、正倉院展など100以上の展覧会を運営してきた西山厚さん。その西山さんが、奈良の文化財や史跡、伝統行事などを手がかりに、仏教が根付いた奈良の真髄をやさしく解説した新刊『語りだす奈良 1300年のたからもの』(2024年5月21日発売、ウェッジ)よりお届けします。

今からおよそ100年前、512篇の詩を残し、26歳の金子みすゞさんは、みずから命を絶った。私が一番衝撃を受けた詩は「積つた雪」だった。

 上の雪
 さむかろな。
 つめたい月がさしてゐて。

 下の雪
 重かろな。
 何百人ものせてゐて。

 中の雪
 さみしかろな。
 空も地面ぢべたもみえないで。

雪の気持ちを想像する。そういう人はほとんどいないと思うが、広い世の中にまったくいないこともないだろう。

しかし、「中の雪」のさみしさにまで、こんなふうに思いをはせる人は、絶対にいないと断言したい。

自分で言うのはなんだが、私も感受性がとても強くて、ほかの人が感じないことを、子どもの頃から感じていた。しかし、「中の雪」のさみしさにまでは、さすがに思いは至らない。

金子みすゞさんの詩は、そしてその人生は、さみしい。

みすゞさんが3歳の時、お父さんが中国で亡くなった。だからみすゞさんはお父さんを知らない。

きょうもきのうも、去年も一昨年おととしもみんな夢。ひょいと目が覚めて二つの赤ちゃんだったらどんなにうれしかろ。という意味の詩がある。二つならお父さんがいる。

私の母も3歳で父親を亡くしたので父親の記憶がない。95歳で亡くなるまで、母はずっと父親を思い続けていた。

叔母のフジ(お母さんの妹)のご主人である上山松蔵は、下関で上山文栄堂という大きな書店を経営していた。

お父さんが亡くなり、金子家は大きく変わる。みすゞさんの弟(正祐まさすけ)は、子どもがいなかった上山家へ養子に入り、フジが亡くなると、お母さんのミチが後妻になった。

やがて大津高等女学校を卒業したみすゞさんは、仙崎の実家から下関へ移って上山家に住み、上山文栄堂の支店で働き始めた。

当時、書店は時代の最先端だった。本や雑誌には、東京から発信された魅力的な新しい情報が満載されていた。

大正時代は『赤い鳥』『金の船』『童話』などの雑誌が次々に創刊された児童文学の盛期で、西條さいじょう八十やそにひかれたみすゞさんは詩を作り始める。そして西條八十が編集する『童話』を中心に、詩を投稿するようになった。

この時期、つまり大正12~13年(1923~4)、20~21歳が、みすゞさんにとって一番幸せな時期だった。

大正15年(1926)2月、みすゞさんは上山文栄堂の店員と結婚。この結婚は最悪の結果を生む。それは初めから予想できた。

まもなく女性問題が発覚した夫は上山文栄堂を退職。生活を立て直せない状況のなか、みすゞさんは詩を書くことを禁じられ、夫が遊郭でもらった病気をうつされた。

子どものつぶやきを書き留めるだけの日々にも終止符を打ち、512篇の自作の詩を手書きした詩集を、敬愛する西條八十先生と実の弟の正祐に送り、みすゞさんはひとりさみしく命を絶った。

 私がさびしいときに、
 よその人は知らないの。

 私がさびしいときに、
 お友だちは笑ふの。

 私がさびしいときに、
 お母さんはやさしいの。

 私がさびしいときに、
 仏さまはさびしいの。

大津高等女学校を卒業した時、奈良女子高等師範(現在の奈良女子大学)へ行って教師にならないかと勧められたが、みすゞさんは断った。

もしもそのとき奈良へ行っていたら、まったく違う人生になっていただろう。

奈良に来て教師になり、そのまま奈良に住んでいたら、私が奈良国立博物館に入った時には79歳の元気なおばあちゃん! きっと仲よくなったと思う。

(2023年7月5日)

文=西山厚

奈良で暮らし、奈良を愛してきた著者ならではの “奈良学” が満載の本書『語りだす奈良 1300年のたからもの』(西山 厚 著、ウェッジ刊)は、全国の書店およびネット書店にてお求めいただけます。

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西山厚(にしやま・あつし)
奈良国立博物館名誉館員、東アジア仏教文化研究所代表、帝塚山大学客員教授、半蔵門ミュージアム名誉館長。徳島県生まれ。京都大学大学院博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。奈良と仏教をテーマに、生きた言葉で語り、書く活動を続けている。主な編著書に『仏教発見!』(講談社新書)、『仏像に会う 53の仏像の写真と物語』、本書シリーズ『語りだす奈良 118の物語』、『語りだす奈良 ふたたび』(いずれもウェッジ)など

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