【京都】狂言師・茂山逸平さんに訊く「夏しごと、土用干し」
7月末から8月前半にかけて、暑さもピークを迎える夏の土用に衣類や書物を陰干しして湿気を飛ばし、カビなどを防ぐメンテナンスは、以前は普通の家でもよく見かけた夏の風物詩的作業であった。
空調も整い「土用干し」と言えば梅干しくらいしか思い浮かばない昨今。しかし狂言の茂山家では、この時期、若手役者が集まって、のべ10日間ほど、「麻装束の糊づけ」と「面の虫干し」を行うのが恒例。その作業風景を逸平さんの案内で覗かせていただいた。
能、狂言の家では、面はもとより、装束や小道具類も自前。舞台で必要なもののほとんどを所有し、着付けも手入れも自分たちで行うのである。
糸、針三年、糊五年
まず「糊づけ」から。作業拝見の前に、ちょっと狂言の舞台を思い描いてみよう。そこには大名、太郎冠者、僧侶、山伏など、さまざまな格好の人たちが出てくる。それら登場人物が着ている装束のいちばん外側、たとえば裃のように肩のあたりがピンと張った上着「肩衣」や、袖のたっぷりした「素袍」、そして長短の「袴」等々、それらは大概、麻で仕立てられている。その麻装束が舞台で使ううちに、草臥れたり皺になったり。逸平さんいわく「ヘニャヘニャになってきたものを、糊をあて直してシャキッとさせる」のが、「糊づけ」の作業である。
「姫のり」と呼ばれる着物用の糊を、水で緩めて、装束に刷毛でシャーッと。一見、簡単に見えるが、糊の具合、力の加減、さらにピンと張らせたいところは濃いめに、着たら見えないところは生地への負担が極力少ないよう薄めに、など工夫のしどころは一様でない。さらに糊をあてる人、装束を着ける人、それぞれの好みもあり、同じ肩衣でも麻の厚さも経年変化もさまざまで、それらを按配しつつの作業には経験が要る。「糸、針三年、糊五年」とも言われるそうだが(糸、針とは着付けを整えるための糸づくり、縫い留めなど)、それはたんに習得への年月を示すだけの合言葉ではないのだろう。舞台に立つばかりでなく、裏の仕事も如才なくこなせて一人前。そんな示唆も含まれているようだ。
内弟子に入った人は装束のたたみ方も覚束ない1年目から見よう見まねに、また「家の子」と呼ばれる一家の息子さんたちは中学生くらいになれば「邪魔してるのか、手伝うてるのかわからんような感じ」でこの夏しごとにデビュー。必死で糊をあてて乾いたら、手が切れそうなくらいバキバキになった、色が移った、柄が泣いた(滲んだ)と、さまざまな粗相、失敗の中、「これやったん、誰や⁉」との怒号叱声を潜り、勘どころをつかんでいく。そうして装束との馴染みを深めるのだろうな、と傍目には思うけれど、ご当人たちは「そんな特別なもんやないです、夏の部活みたいなもん」と、ごく淡々。
この淡々あればこそ、今の暮らしの中では着ない、見慣れない、動きにくくもあろう室町時代あたりの扮装が、カツラも化粧も施さない現代の狂言役者さんたちに、あれほど馴染むのだろう。そして数百年の時を超え、かつての人々と、共に笑い合える舞台が出来上がっていくのだろう。
「面の虫干し」は盛夏の中でもさらにお天気の良い数日を見計らい3〜4日。猿、狐、狸に犬、福の神に大黒、うそ吹き、毘沙門、武悪、黒式尉等々、蔵に収められている面を次々に、御簾のかかる夏支度の座敷に所狭しと並べ、表、裏と干しながら剝落やカビがないかを調べる。中には、時代を聞けば腰を抜かしそうなものも多いが、こちらの作業もまた、淡々。「うち、博物館と違うんで。使うものなんで」。
そうこうしてすべての作業が終わる頃、縁側に涼風が通り、秋が立つ。
旅人=茂山逸平 構成・文=安藤寿和子 写真=二村 海
――本誌では、「京の夏しごと」として、清水さんの千日詣りへ茂山逸平さんが訪れます。狂言ではお寺が出てくるお話が多いものの、そのほとんどが清水寺か因幡堂。逸平さんと旧知の仲であるという清水寺執事の大西英玄さんと、かつての「千度参り」から現在に続く観音信仰について語っていただきます。8月9日から16日の千日詣りは、千度のお詣りにの功徳をたった一日でいただける機会であり、普段は立ち入り不可の本堂内々陣への参詣路が開く貴重な時。ぜひ本誌をご一読ください。
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出典:ひととき2023年8月号
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