再ブーム到来のレトロな「昭和家電」を味わう。【昭和の日】
文=ウェッジ書籍編集室
昭和37年 常盤平団地
日本が戦後の混乱を脱し、高度経済成長へと向かう時代。生活様式の現代化とともに家電が暮らしの中にやってきました。松戸市立博物館の復元展示で昭和37年の常盤平団地に住む一組の夫婦と赤ちゃんの「家電のある暮らし」を見てみましょう。
勤労者に集合住宅や宅地を供給するために、昭和30年に発足した日本住宅公団(現独立行政法人都市再生機構)。同公団が最初に手掛けた団地の一つがここ、東京から電車で約1時間の千葉県松戸市にある常盤平団地だ。
この復元展示は、典型的な入居者として29歳の夫、27歳の妻、1歳の娘の3人暮らしを設定、2DKいっぱいに電化製品から家具、食器、衣服に至るまで生活のすべてを再現している。
1.ダイニングキッチン
公団がつくる団地で、最初から明確にされていたのは、食べる場所と寝る場所を分ける、「食寝分離」という考え方。ダイニングテーブルと椅子を置き、食事のできる台所としてダイニングキッチンは設計された。ちなみにガスコンロの横に換気口はあるが、換気扇はまだ付けられていない。
冷蔵庫
昭和30年代後半に冷蔵庫が普及すると、買い物の仕方や、普段食べるもの、飲むものが大きく変化した。とはいえ、まだ容量はそれほど大きくなかったので、わきには蠅帳も置かれている。
ミキサー、炊飯器
キッチン家電でいち早く導入されたのは、つくりが簡単な電気コンロなどの加熱調理器具。ご飯を炊く手間を大幅に減らしてくれる炊飯器、ブームになった生ジュースをつくるためのミキサーは、昭和30年代になって普及した。
2.居間
居間は和室にじゅうたんを敷き、応接セットを備える。当時、公団入居者には家族のだんらんスペースを明確に設ける人が多かった。
テレビ
夕食後はソファーに座り、家族みんなでテレビを見る。あこがれの海外ドラマのように。昭和37年の白黒テレビ普及率は80%ほど。カラーテレビはまだまだ高嶺の花だった。ちなみに『週刊TVガイド』はこの年創刊された。
ステレオ
この家の夫はフランス映画とモダンジャズが好き(という設定)。ステレオセットもかなりしっかりしたものを使っている。上に載っている電気スタンドは手作りで、このウイスキーの瓶で作るのが当時、流行っていた。
3.寝室
居間と続き部屋になっている寝室。ベビーベッドはあるが、夫婦は布団を敷いて寝るのだろう。奥のミシンは足踏み式。ここまで見てわかるように、60年前の家庭には、照明以外の電化製品はまだまだ少なかったのだった。
4.浴室
浴室内に家電はない、というより浴室内の電気製品は照明だけだ。お風呂は今となってはぜいたくとも言える木の桶で、ガスで沸かす。シャワーもない。ガスバーナーの上のスペースには「上がり湯」が入っていた。
5.バルコニー
初期の団地では、洗濯機はバルコニーに置かれるものだった。ここで洗濯をして、そのまま干す。機能的ではあるのだが、音がするので夜は使えない。冬は寒いし、洗濯機自体も雨ざらしになってしまうので傷みやすかった。
いかがでしたでしょうか?
銭湯研究の第一人者で、昭和の暮らしにも詳しい町田忍さんの本書を読んで、レトロな昭和家電の魅力に心ゆくまで浸っていただけたら幸いです!
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