見出し画像

【リングヂャケット】既製のスーツなのにまるでオーダーメイドの着心地

今日も日本のあちこちで、職人が丹精込めた逸品が生まれている。そこに行けば、日本が誇るモノづくりの技と精神があふれている。これは、そんな世界がうらやむジャパンクオリティーと出会いたくててくてく出かける、こだわりの小旅行。さてさて、今回はどちらの町の、どんな工場に出かけよう!(ひととき2019年10月号メイドインニッポン漫遊録より)

海外でも知られる人気ブランド

 スーツには、世界3大スーツスタイルと呼ばれる基本スタイルがある。まず、背広の語源になったとも言われるサビルロウ通りがある英国で生まれたブリティッシュスタイル。特徴は構築的な仕立てによってできるイングリッシュドレープと言う優雅な布のたるみ。チャールズ皇太子のスーツがこのスタイルだ。

 次に、アメリカントラディショナルスタイル。I型というボックスシルエットで、三つ釦(ぼたん)中一つ掛けのデザイン。アイビーがこのスーツスタイルである。

 そして、クラシコイタリアスタイル。英国の伝統的なテイストにイタリアの解釈を加えた、クラシックな雰囲気とモードな艶(つや)っ気が融合したスーツスタイルだ。

 この英、米、伊の3大スーツスタイルに迫る勢いで、いま海外から高い評価を得ているのがクラシコジャパンとも称されている、日本の「リングヂャケット」が作るスーツである。

1910_メイドインD08**

袖付けや内ポケットなど主要な個所で手作業を駆使した「リングヂャケット マイスター 206」。布に丸みをつけ立体的にする「いせ込み」という技法で作られた肩山のきれいなシワは、服好きが見ればひと目でリングヂャケットとわかる。220,000円(税別)

 元々、リングヂャケットは80年代からビームスやユナイテッドアローズといった有名セレクトショップのオリジナルスーツを手掛けていた。服好きの間では「実はあのスーツはここが作っている」とその名を知られていて、筆者もリングヂャケットを知ったのはその頃である。

 お洒落のプロたちからいち早く認められていた、リングヂャケットのスーツ。一着約10万円からと決して安くないが、着心地と仕立てのよさで、ニューヨーク、韓国、香港、シンガポールなど海外の目の肥えた富裕層に大人気。今やその名は世界中の服好きに知られている。

1910_メイドインD03*

リングヂャケット最高峰モデルのロゴ。206は貝塚工場の番地

 海外でも知られる人気ブランドになった今も、リングヂャケットは「注文服のような着心地の既製服を」をモットーに掲げて、創業地の大阪で昔から変わることなく真面目にスーツ作りをしている。そこで今回は、リングヂャケットを訪ねて大阪に行って来ました。

イタリアのスーツを徹底的に研究

 リングヂャケットの直営店「リングヂャケットマイスター206淀屋橋店」は大阪のビジネスマンが行き交う街、淀屋橋のオフィスビルに入っている。秋冬物のスーツやジャケットがハンガーに整然と掛けられたラグジュアリーな店内には、国内外から服好きが訪れる。

1910_メイドインD02*

淀屋橋店にて

 創業は、昭和29年(1954)。時代はまさにアイビーブームを迎えようとしていた。創業者の福島乗一(じょういち)さんは、あのVAN(ヴァン)ヂャケット*を創業したアイビーブームの仕掛け人、石津謙介さんと同郷の岡山出身で2人は盟友であった。

*1960~70年代、日本のファッションシーンを牽引したアパレル企業。「みゆき族」の間でも流行した

 当時、VANヂャケットのスーツはリングヂャケットで作っていた。社名をヂャケットと表記するのも、石津さんが命名したからである。

「まぁ石津さんのシャレで、VANはバンバンお金を儲ける会社だからバン。お金は丸いのでリングというわけです」

 苦笑いしながら社名の由来を教えてくれたのは、現社長の福島薫一(くんいち)さんだ。明るいネイビーのスーツに、秋らしくスエードの靴の色と合わせた茶のネクタイ。さすがお洒落な着こなしです。

1910_メイドインD01**

社長の福島薫一さん。「スーツで一番大切なのは自分に合ったサイズを選ぶことです」

 父親の乗一さんも大変お洒落な人で、保険会社に勤めていたが、いいスーツは人に頼んでも作れない。ならばと自分で熟練の職人を集めて工房を立ち上げた。それがリングヂャケットの始まりである。

 やがて東京に進出したVANヂャケットは事業を拡げすぎて、昭和53年、アイビーブームの終焉で倒産してしまう。リングヂャケットは地元の大阪にとどまり、細々と、しかし品質にこだわってスーツ作りを続けていた。

 昭和58年、薫一さんが入社する。転機になったのは、90年代の初めに巻き起こったクラシコイタリアブームだ。平成7年(1995)、社長に就任した薫一さんは、イタリア各地に何度も訪れてクラシコイタリアの本場のサルト(仕立て)職人の技術を勉強する。

1910_メイドインD05*

1910_メイドインD06*

貝塚市の工場にて。職人は若い男性が多い。希望者に全工程を教える講習会を開いており、イタリアに渡ってサルト職人になった社員もいる

「我々の縫製技術を生かすのは、この方向だと思いました。イタリアのスーツを工場で分解して徹底的に研究しました」

 既製服でありながら、日本のテーラー技術にイタリアのサルトの手法を取り入れて手間暇をかけて作るスーツは、目の肥えたセレクトショップのバイヤーや、イタリア人の間でも瞬く間に評判になる。

 こうして、60年代のアイビーブームから知る人ぞ知るブランドとして実力を蓄え続けてきたリングヂャケットは、世界にその名を知られるようになったのだ。

巧みな縫製技術で立体的に

 貝塚市にある工場を見学させてもらう。さぞや大きくて立派な工場かと思いきや、約50人の社員が働く貝塚工場は、なんと周りを民家に囲まれた看板もない小さな町工場である。

1910_メイドインD13*

寺内町の名残をとどめる貝塚市の一角

「びっくりしたでしょう。私も初めて来た時は大丈夫やろか? と思いました。けど大阪のこの場所で、このくらいの規模の方がモノ作りに丁度ええんですわ」

1910_メイドインD04*

工場長の村上義夫さん(右)と、村上さんが太鼓判を捺す腕前の縫製職人で副工場長の大八木正昭さん

 そう言って案内してくれたのは、工場長の村上義夫さん。長年、大阪のアパレル製造卸業者が集まる谷町で縫製職人として働いていた大ベテランだ。

1910_メイドインD07*

工場長の村上義夫さん(右)と、村上さんが太鼓判を捺す腕前の縫製職人で副工場長の大八木正昭さん

 リングヂャケットのスーツは何が凄いかと言うと、軽くてやわらかな着心地。そのために、1枚の布に何度もアイロンをかけて身体の丸みに沿わせ、いせ込みという巧みな縫製技術で立体的な服に作り上げる。肩パッドなどの副素材は極力使わない。手縫いと同じ仕上がりになるようにミシンの速度も極力遅くして縫う。

 だからか、工場ではあまりミシンの音が聞こえない。仕上がりを左右するプレスも一つ一つ丁寧なアイロンワークで、まるで高級なクリーニング店のようだ。

 この秋はスーツを新調しようかな。そうそう、面倒でも座る時は前釦をはずす。立ったら留める。これ、基本のキ。この仕草だけで格段にお洒落に見られますよ。

いであつし=文 阿部吉泰=写真

いであつし(コラムニスト)
1961年、静岡県生まれ。コピーライター、「ポパイ」編集部を経て、コラムニストに。共著に『“ナウ”のトリセツ いであつし&綿谷画伯の勝手な流行事典 長い?短い?“イマどき”の賞味期限』(世界文化社)など。
◉株式会社リングヂャケット
本社:大阪市北区西天満2-9-14 北ビル3号館1F
☎06-6316-8488
工場:大阪府貝塚市窪田206
http://www.ringjacket.co.jp/

出典:「ひととき」2019年10月号
※この記事の内容は雑誌発売時のもので、価格など現在とは異なる場合があります。詳細はお出かけの際、現地にお確かめください。


最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、ウェブマガジン「ほんのひととき」の運営のために大切に使わせていただきます。