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清酒発祥の地・奈良を訪れ、古くて新しい日本酒を堪能(料理家 和田明日香さん)

「日本清酒発祥の地」とされる正暦寺しょうりゃくじや、酒の神様を祀る大神おおみわ神社などが点在する奈良では、伝統の上に革新の酒を醸す酒蔵が次々と生まれています。料理家の和田明日香さんと訪れ、酒造りに邁進する人・蔵・酒をご紹介します。(ひととき2021年10月号特集古くて新しい奈良酒――酒の神がすまうさと」より一部抜粋してお届けします)

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油長ゆうちょう酒造
奈良酒を牽引する「風の森」

 
 澄み切った空の下、水が勢いよくパイプからあふれ出す。地下100メートルから汲み上げる金剛葛城山系こんごうかづらぎさんけいの豊かな地下水だ。

「日本酒の大敵とされる鉄とマンガンが含まれない水を追い求めて、平成に入ってから蔵に新しく井戸を掘りました」

 油長酒造の13代目・山本長兵衛さんの顔は、力に満ちている。1719年(享保4年)創業のこの蔵では代々、当主がこの名を襲名する。

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13代目の山本長兵衛さん。銘酒「風の森」や「鷹長」を育て、前衛的な酒造りに取り組む醸造家だ

 町のこの一帯には、油長酒造を含めて、築300年を超える建物がちらほら残っているという。築100年なら珍しくもない。山本さんがジンの製造拠点である「大和蒸溜所やまとじょうりゅうしょ」を構えたのも、江戸時代には染物業を営んでいたという古い大きな家だ。

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大和蒸溜所の蒸留機

「ジンは元になるスピリッツに、ボタニカルと呼ばれるハーブなどの成分や香りを付け加えたもの。元々は薬用酒だったわけです。私たちは大和橘、大和当帰やまととうきといったボタニカルを使って、奈良ならではのジンを造りたい。奈良はハーブの里でもあるのですから。推古天皇が宇陀うだで薬狩り*をしたという記録が、『日本書紀』に残っているでしょう」

*『日本書紀』によれば、611年(推古19年)に推古天皇が官吏とともに宇陀で薬草(野草)を採取したとある

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山本さんが大和橘やまとたちばなの葉を折り、芳香を教えてくれた

 大神神社の祭神・大物主おおものぬしは、疫病を鎮めた医薬の神でもある。奈良は製薬業もまた盛んなところなのだ。

 ジンにも興味は尽きないが、なんといってもここは300年の歴史をつないでいる日本酒の蔵だ。それを味わってみなくては始まらない。

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油長酒造のある御所市は、大和朝廷の豪族であった葛城氏と巨勢氏が権勢を誇ったエリアで、首長のものと比定される古墳や古社もある。左側の塀は油長酒造の一角で、市内にはこうした歴史的風情のある建物も多い。

 主要銘柄は「風の森」と「鷹長たかちょう」。油長酒造もまた、菩提ぼだい研*のメンバーだ。正暦寺の菩提酛ぼだいもとで醸しているのが「鷹長」。甘みをしっかり感じさせる、濃厚な飲み口の酒である。

菩提研* 奈良県内の酒蔵の当主たちによって1996年に結成された「奈良県 菩提酛による清酒製造研究会」。清酒が生まれたお寺・正暦寺で室町時代に確立された酒母の元祖、菩提酛を再現し、「酒母」の製造免許も取得。毎年共同で菩提酛を造り、8つの酒蔵で分けて持ち帰り、清酒にしている。

 そして「風の森」。ほのかなレモンイエローに色づくその酒を味わった和田さんが、目を丸くして山本さんの方を振り向く。

「めちゃくちゃ美味しい!」

 グラスから果実のような柔らかい香りが立ちのぼる。わずかに含まれる炭酸が心地よい刺激となり、爽やかなボリュームのある甘みが口中を駆け抜けていく。

「なんですか、これ。どうやったらこんなお酒ができるんですか?」

「『風の森』は、搾ったままのの酒を飲んでもらいたい、という思いから造り始めたものなんですよ」

 山本さんが満足そうに笑う。

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「風の森」(左3本)と橘花ジン

「23年前、最初は地元の米だけを使って、地元のひとたちに向けてね。それも冷蔵技術の発達と設備環境が整った現代だからこそ、初めてできたことでした」

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醸造責任者の中川悠奈さんが、発酵具合を香りで確かめる

 伝統と前衛。山本さんが大切にしているのが、この2つの言葉だ。守り伝えていかなくてはならない文化がある。その一方で毎日、昨日とは違う新しいことに挑戦し続けている。新しい酒の仕込み方、新しい企画。現在11人いるスタッフとは、よぼよぼになっても前衛集団でありたいと話しているのだという。100年、200年先には、それが新しい伝統になるのだと。

「日本酒って特別な、難しいお酒だと思っていたけど」

 和田さんの驚きは止まらないようだ。

「『KURAMOTO(倉本酒造)』もそうでしたけど、こんなにいろいろな美味しさがあるなら、お寿司やお蕎麦だけじゃなくどんなお料理に合わせてもいいんだということが、初めてわかった気がする」

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大和蒸溜所の試飲スペースで、初めての「風の森」を楽しんだ和田さん

「風の森」は、地元のひとたちに昔から親しまれている「風の森峠」に由来する名前だ。奈良盆地から五條市へ抜ける道で、古くは大和と紀伊を結ぶ交通の要所として知られていた。頂上にはイザナギとイザナミの間に生まれた風の神、シナツヒコが祀られる風の森神社がある。そしてこの峠には一年中、風が吹いている。風は邪気を払い、五穀を健やかに育てる。

「風の神さまがいらっしゃるのですね」

 南から北へ、細くまっすぐな道が伸びている。営々と続いてきたひとびとの暮らしを記憶する道だ。風の森神社はとても小さく、ひっそりとそこにあった。地元のひと以外はだれも知らない、そして地元のひとに大切に守られているお社。

 美しい田が広がり、奈良では油長酒造の契約農家でしか栽培されていない品種、秋津穂あきつほが育っている。やがて「風の森」になる米だ。白いさぎが1羽、ゆっくりと田を歩いている。四方は遠く、緑の山に囲まれ、白い雲が浮かんでいる。

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酒米を育てる契約農家の田圃

「皆さん、奈良が大好きなんですね。今回の旅で会ったひとたちはみんなそうだった」

 和田さんがいう。

「その思いに触れられて、本当によかった」

 神代かみよの昔、神に挑戦したヤマトタケルはその怒りを買い、異郷で命を落とした。最後まで大和に帰ることを夢見ながら、望郷の歌を詠んだ。

――やまとは 国のまほろば たたなづく青垣あをかき 山籠やまごもれる やまとしうるわし

(大和は理想郷だ。重なり合った垣のような青い山々に囲まれた大和は美しい)

 現代を生き、未来につなぐひとたちの上を今日も風が渡っていく。やがて田は黄金色に変わり、楓が山を真紅に染め、そしてそれらも過ぎたころに――。

 神々も、ひとも喜ぶ、また新しい最上の美酒ができあがる。

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「ここが風の森峠。大切な場所です」。山本さんが進むとふわっと風が起き、青々とした稲が大きく波打った

旅人=和田明日香 文=瀬戸内みなみ 写真=阿部吉泰

油長酒蔵・大和蒸溜所
奈良県御所市1160
☎0745-62-2047
✳︎蔵見学・直売はしていません
https://www.yucho-sake.jp/

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和田明日香 (わだ・あすか)
料理家、食育インストラクター。1987年、東京都生まれ。3児の母。料理愛好家・平野レミ氏の次男と結婚後、修業を重ね、食育インストラクターの資格を取得。料理家のほか、講演、コラム執筆など幅広く活動する。2018年、ベストマザー賞を受賞。ビール、日本酒、ワインなどお酒も大好きで、取り合わせる料理を考えながら楽しむそう。最新の著作『10年かかって地味ごはん。』(主婦の友社)が好評。
瀬戸内みなみ(せとうち・みなみ)
広島県生まれ。上智大学文学部卒業後、会社勤務などを経て作家に。猫と旅と日本酒を主なテーマとし、小説、ノンフィクションなどを手掛けている。著書に『にっぽん猫島紀行』(イースト新書)。

――「奈良は、長い長い歴史が今と地続きに感じられて、はるか昔のことを想像しながら歩く楽しみがありますね」とは旅人の和田さん。本誌では、酒とゆかりの深い寺社に訪れ、日本酒の歴史に思いを馳せます。そして、伝統的な酒造りを重視しつつ、新たに挑戦し続ける酒蔵や古民家バーなどを巡り、白ワインのような飲み口の日本酒や果実を使ったクラフトビールなどを堪能...。美しいグラビアと共に、ぜひご一読ください。

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H10月号特集トビラ画像

【特集】古くて新しい奈良酒――酒の神がすまう郷へ
●酒のふるさと・奈良をお参り
●美味に響く奈良酒
●SAKETIMES編集長が語る 奈良のうまし酒
 談=小池 潤
●奈良酒をもっと楽しむ!

出典:ひととき2021年10月号


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