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竃の飯――みんなが知ってる技こそ途絶えやすい

1300年の歴史をもつ奈良・春日大社で、長年権宮司を務められた岡本彰夫さん。日本の文化・しきたりについての深い知識と、神さまに仕える神職としての長い経験に裏打ちされたわかりやすいことばで、人々に語り掛けてきました。ここでは、『日本人よ、かくあれ――大和の森から贈る48の幸せの見つけ方』(岡本彰夫 著、保山耕一 写真)に収録されたエッセイの一部を抜粋してお届けします。奈良を舞台に活躍する映像作家・保山耕一さんの情感あふれる風景写真と合わせて、お楽しみください!

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 春日大社の式年造替の際、神様が御本殿と御仮殿である「移殿」の間を往来される。その時お通りになる「筵道(えんどう)」と呼ぶ道筋には藁薦*(わらごも)が敷き詰められる。我々神職は筵道の上を足袋跣(たびはだし)でお供申しあげるのだが、実に総丈は百間(約百八十メートル)にも及ぶ。幅三尺、長さ六尺に編んだ藁薦が最低百枚は必要となる。

*藁薦:わらで編んだ目の粗いむしろ

 これは春日・興福寺の旧領地三十七ヶ村の人々が、まず藁を採るところから始めて下さる。コンバインで収穫すると藁の丈が短くなるため、全て手刈りをして、天日に干す。それも穂がついたまま干さないと藁がまっすぐにならないから、昔通りのやり方で干す。

 但し雨がかかると変色するので天気予報を見ながら、雨が降りそうになると納屋に取り込み、晴れると表へ干しに行く。

 編み方は俵を編むのと同様で「オッチョコチョイ」と呼ぶおもりを、こっちへやったりあっちへやったりして編み上げる。因みにおもりをオッチョコチョイと呼ぶのは、アチコチとウロウロするからだそうだ。

 さてこの俵を編む技もかつては知らぬ人がない、知っていて当り前の技であったが、よく考えてみると、希少な技は人々の注目も集まり遺そうという気持が強い。しかし誰でも知っている技は、途絶えるという危機感が無いが故に、いつしか消えてしまうだろう。二十年先の事をおもんぱかって映像で記録しておいた。

 十二月十七日に行われる、大和きっての大祭「春日若宮おん祭」において、千人にも及ぶ奉仕者への食事は、今も大きな竃(かま)で煮炊きをする。これが頗る美味いのだ。ところが二十年程前から、「おクドさん」で御飯を炊ける御婦人がいなくなってきたというのである。慌てて四方八方に手を尽くし、やっと竃でご飯が炊ける御婦人方をお願いした。かつては誰もが出来たこと、それが今では絶滅寸前になっているのだ。

 これだけ科学技術と研究が進んでも、どの炊飯器メーカーも目指すのは飯が最も美味くなる「竃炊きご飯」である。

 大和では山林に近い村々は当然薪で飯炊きをするが、大和平野の中心部ともなると山林と距離があるため、藁を輪にして飯を炊く。火力が乏しいものの、この飯が美味いのだという人もいる。今、私は双方の炊き方を是非習っておいて欲しいと、皆さんにお願いしてまわっている。

 一番伝承が難しいのは、みんなが知っていることなのである。

 文=岡本彰夫 写真=保山耕一

岡本彰夫(おかもと・あきお)
奈良県立大学客員教授。「こころ塾」「誇り塾」塾頭ほか。昭和29年奈良県生まれ。昭和52年國學院大學文学部神道科卒業後、春日大社に奉職。明治以降断絶していた数々の古儀や神饌、神楽を復活させた。平成27年6月に春日大社(権宮司職)を退任。著書に『大和古物散策』『大和古物漫遊』『大和古物拾遺』(以上、ぺりかん社)、『神様にほめられる生き方』『神様が持たせてくれた弁当箱』『道歌入門』(以上、幻冬舎)、『大和のたからもの』(淡交社)。
保山耕一(ほざん・こういち)
映像作家。昭和38年、大阪府生まれ。フリーランスのテレビカメラマンとして『世界遺産』(TBS)などを担当し、世界中をめぐる。US国際映画祭でドキュメンタリー部門最優秀賞「ベスト・オブ・フェスティバル」を受賞。現在は末期ガンと闘いながら、「奈良には365の季節がある」をテーマに奈良の自然や歴史にレンズを向け続ける。第7回水木十五堂賞受賞。第24回奈良新聞文化賞受賞。現在、NHK奈良「ならナビ」にて「やまとの季節」放送中。

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