本音屋

第三者として本音を聞きつつ、本音について探求しています。

本音屋

第三者として本音を聞きつつ、本音について探求しています。

最近の記事

  • 固定された記事

本音屋について

・本音を話せる相手がいない ・本音が言えない立場にいる ・本音を見つめる時間がない ・本音でいられる場所がない ・本音が迷子になっている ・自分の本音に向き合いたい 第三者である本音屋が、 あなたの「本音」を伺います。 概念概要 料金依頼方法

    • 本音の見つけ方

      「自分の本音がわからない」は、本音に関する悩みランキングトップだと思うので。 本音の見つけ方、および本音の向き合い方についてまとめます。 ざっくり言うと、①気付く ②理解する ③認めるのスリーステップで本音を捉えていくよ。 ①気付く ②理解する ③認める こんな形でモヤッとしたことを軸に、一連の流れを繰り返していけば、本音がわかるようになっていきます。 ※モヤモヤが浮かばなかった人、モヤモヤが減ってきた人は、大きく感情が動いたこと(すごく嬉しかったこと、悔しかっ

      • 人の性格≠本音

        本音っていうのは普段は外に出せないものなので。悲観的だったり、攻撃的だったり、後ろめたかったりと、表面的にはネガに属するような話が多い。 そうした本音を吐露した人はよく「私って性格悪いですよね」「本当はこんな嫌なヤツなんですよ」なんて言うんだけれども。 いやいや、まったくそんなことはないよ!という話をしていきたい。 結論からいうと、性格っていうのはどういう本音を抱くかではなく、本音をもとにどう行動するかに表れる。 誰かに対して「めんどくせーな」って思ったとしてとも「お

        • 本音と建前

          本音と建前がなぜ存在するのか?ってことを考えると、人間が集団で生きる社会的な動物だからだと思う。 相反する本音を持つ人々がいたら、どうしてもうまくいかないので、社会を形成する上で、ある程度こっちのほうがいいよね〜っていう合意がなされた建前のもとで過ごしている。 ただ建前は、集団の中で多数決的によしとされた方向性なので、100%合意できるわけじゃない。合意度が低ければ低いほど、それに反して強い本音を抱くようになる。 集団に合意できない自分を恥じたり責めたりする必要はなく、

        • 固定された記事

        本音屋について

          上手な他責のすゝめ

          「自分がダメだからこうなるんだ」と思わずに済むような知識にテンションが上がる。 生物は睡眠状態の方がデフォルト説とか、夜型人間の先祖は狩猟時代に見張り役だった説とか。なかなか起きれない自分を許せるようになる。 気圧の変化が心身に影響を与えるとかもそう。だるくて集中できないのは、自分のやる気のせいじゃない。ネガティブなのは生存本能とか、脳は変化を嫌うみたいな話も好き。 占いも捉え方によってはそう考えられる。どうにもうまくいかない時期があっても、星回り的にほにゃららだからっ

          上手な他責のすゝめ

          本音の存在を否定しない

          本音に向き合う上で一番大切なのは、自分の本音を否定しないことだと思う。誰だろうと何だろうと、自分の中にある「本音の存在」を否定しないこと。 自分にとって望ましくない本音もあるかもしれないが、それも自分の一部なので。自分で自分を否定しているとどうしてもしんどくなっていく。 『反応しない練習』という本では、自分を否定していると承認欲が満たされず「攻撃」や「逃避」といった行動を選択しやすいと解説していた。 たとえば、誰かに対して嫉妬をしている自分に気づき、その本音を否定したい

          本音の存在を否定しない

          自分の本音がわからない人へ

          自分の本音がわからないっていう人は、周囲から求められる「役割」を優先してきた人が多い。 役割をまっとうするために、そこに合わない本音を「ないもの」として扱ってきた結果、自分の本音が迷子になっている状態。 ここでいう役割っていうのは、肩書きみたいなものだけじゃなく。あらゆる属性やポジションやキャラクターが当てはまる。 早い段階だと親が求める「子ども」という役割を察して、小さい頃から本音を後回しにしている人がいる。 女の子だから お兄ちゃんだから もう小学生だから 良い子

          自分の本音がわからない人へ

          本音で生きるという違和感

          人が本音で生きようとしたとき たとえ生きられない本音があったとしても 人は本音で生きていると言えるんだろうか ▼△▼△ 本音を軸に活動をしているのに、こんなこと言って良いのか?という迷いもあるが。実は「本音で生きる」という言葉に違和感を持っている。 もちろん、そこに込められた意味や想いを否定したいわけじゃない。本音で生きるという言葉が活用される世界には、その世界での定義があるわけで。それを蹴散らした上で「本音とは斯くあるべし!」なんて言うつもりはない。 ただ、本音で生

          本音で生きるという違和感

          誰もが才能を持っている

          「すべての人に才能がある」と主張をすると、やたら美しい響きに聞こえるかもしれない。 ただ事実として、才能がない人間はいないと思っている。 ・自分には何ひとつ才能がない ・どうすれば才能が見つかるのかわからない 悲観的な面持ちでこうした本音を語ることになる背景には、「才能=キラキラしたもの」という刷り込みがある。 才能という響きには、世の中から評価をされ、スポットライトを浴びるような派手なイメージが付きまとっているが、別にそういうわけじゃない。 たとえ世の中から批難を

          誰もが才能を持っている

          自分らしく生きるとは

          自分らしく生きるとは、誰かの評価を気にすることなく、自分の思い通りに行動をして、自信を持って生きていくこと。 ではなく「頭の中が自由であること」だと考えている。 ▼△▼△ 本音を聞いていると、思考が自由じゃなくなっている人によく出会う。 そうした人々の頭の中には、自分の率直な声を阻むような、否定的な言葉を発する何かが棲みついていることが多い。 例えば、YouTuberになりたい!と思ったとき、頭の中に棲みつくそいつはこんなことを言う。 「そんなの無理に決まってるじゃん

          自分らしく生きるとは