シーチキンおにぎりの思い出
先日、出張でひとり遠出した日、お昼にコンビニおにぎりを食べた。
いつもはお手製のお弁当もどき(お弁当というほどちゃんと作っていないので、もどきである)を職場に持参しているのだが、出かける日は大抵コンビニで何か調達することにしている。
職場の同僚は「出張の時くらい、うまいもの食ってこい」とその場でいろんなお店を調べてくれるけれど、仕事中にどこかのお店に入って食事をするのが苦手で(時間に追われる感じが嫌)、ひとりで出張の場合は大抵買って済ませてしまう。
そんな私をみんな「この世の終わり」みたいな目で見るけれど、コンビニのごはんだってたまにしか食べず、『特別』に感じる私からしたら、十分ごちそうなのだ。
コンビニに入って、いろいろな棚を『何にしようかな』とわくわくしながら覗く。
私が小学校に上がるくらいの頃になって、ようやく近所にもコンビニができて、たまの土日、母が朝ごはんを作りたくない日だけコンビニに連れて行ってくれた。
結婚してごはんを作ることの大変さが分かった今では、当時の母の気持ちがよく分かる気がする。コンビニに行って、自分の食べたいものを選ばせてもらえる瞬間が子ども心にとてもうれしくて、私にとってそれは特別な思い出として心の底に残っている。
子どもの私が選ぶ鉄板メニューは、シーチキンおにぎり、肉まん、たまにカルビ焼肉弁当。これは確か当時からある商品で、ひとりで食べきれないので父の分を分けてもらうことが多かった気がする。
その中でも、やっぱり一番好きなのはシーチキンおにぎりだ。シーチキンは家の朝食にもよく出てきていて、私や4歳年下の弟は海苔巻きにして食べていた。自分で海苔巻きにするシーチキンとコンビニで買うシーチキンおにぎりはまた違ったおいしさがあって、どちらも大好きだった。
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子どもの頃、私は隣町のスイミングスクールに通っていたのだが、育ち盛りということもあり、毎回帰りのバスに乗る頃にはお腹がペコペコになっていた。帰りのバスに乗っている時間はたかが20分やそこらだったけれど、家に帰るまで空腹なのが辛かった。母はそんな私を見かねて、スイミングの日は毎回おにぎりを握って持たせてくれた。
スクールが終わって、更衣室で急いで着替えをして、出発前のバスの一番うしろの席に飛び込む。お気に入りの窓際の席に落ち着くと、スイミングバッグの底の方から形が歪になったホイル包みのおにぎりを取り出す。
今日のおにぎりは、何かな。一番胸が躍る瞬間だ。
ぱくっと一口かぶりつくと、多めに入ったシーチキンが顔を出す。やった!今日はシーチキンだ。いつも2つ、仲良く並んだおにぎりは、バスが出発する前に私の胃の中に消えた。バスから見える薄暗い中庭と、シーチキンと海苔の香りを今でも憶えている。
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時は過ぎ、大人になって、当時の母の年齢より年上になった私は、コンビニでシーチキンおにぎりを手に取る。会計を済ませ、車に乗り込み、おにぎりの包装を丁寧に剥がしてかぶりつく。
こぼれそうなほどたくさん入ったシーチキン。ああ、こんな味だったっけ。何年かぶりに食べたシーチキンおにぎりは、記憶の中よりも具が多くてしょっぱかった。
子どもの頃のシーチキンおにぎりの思い出が一気に蘇ってきて、思い出に浸りながらもぐもぐ咀嚼し、ごくんと飲み込んでしまってからも、しばらく記憶の海の中にいた。
お母さんのシーチキンおにぎりが食べたくなった。こんなご時世で、もう丸1年帰省できていないけれど、今度おねだりしてみようかな。「お母さん、シーチキンおにぎり食べたいな」って。
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