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カウンセリングからの”1回目”の卒業=自分史⑧=
現実感を少しずつ取り戻した私は、社会復帰の一環として住宅展示場の受付や子供英会話の講師のアルバイトを始めました。
どちらも自宅から自転車で通える範囲で、リハビリを兼ねて短時間で。
当初はどちらも不安はありましたが、周りの人に恵まれ、少しずつ慣れていきました。
そして、折角英語を勉強したのだから、といつか仕事で使えるように渋谷の放送通訳の学校に通ってみることにしました。
すごく久しぶりに、恐怖心と興奮をリュックに詰め込んで、一人で電車に乗って渋谷のセンター街に着いた時の達成感と感動は一生忘れません。また、同じ病を経験した人でないとわからない感覚なのではないかと思います。今でも辛いことがあった時は、この時の光景を思い出すようにしています。
学校のレベルは非常に高く、一番下のクラスから次のレベルに上がったものの、大量の宿題についていけずドロップアウトしました。でもそれも、当時の最善を尽くしたので今となってはいい思い出です。
その頃、担当してくださっていたカウンセラーさんから、カウンセリング卒業を言い渡されました。
今まで取り組んできていたことの点と点がうっすらと線で繋がり、網目の荒いザルのようになってきていた感覚を得て前向きに通えていた頃だったので、母と二人で手をとって喜びました。
実のところ、卒業の理由はカウンセラーさん自体が退職することがきっかけでした。ただ必要であれば、別のカウンセラーさんに会えるように段取りはしておきますから、とのことでした。
その頃にはほとんど断薬が済んでいたので、カウンセラーさんの卒業という言葉を信じ、5年ほどお世話になったその病院を後にすることになりました。
もしこの時、その方の退職に伴う卒業ではなく、私の本当の状態をみた上で他のカウンセラーさんに引き継がれていたら、、、
たらればになりますがもっと早くこの苦しみから抜け出せていたかもしれない。
時々そんなふうに思うことが今でもあります。
(続)