喫茶あるぱか 2. 甜瓜(めろん)
長年の習慣というのは恐ろしいもので、わたしの場合、プライベートの他愛無い雑談でも気づけば手近な紙切れにメモを取っているのだった。
「ジャーナリスト魂だね」
仲のいい友達なら笑って言うけれど、言質を取られているみたいでいい顔をしない人もいる。この日も「あるぱか」で、隣り合った中学生教師という男の人と話すうち、知らずに紙ナプキンに文字起こしをする自分がいた。
『藤の開花はいつ?/5月上旬頃から順に開花。/和気神社が有名◎』
「受験生みたい」
その人は金城先生といった。公立中学の理科教師をしていて、三年生の担任を受け持ったばかりだそうだ。
「授業中の雑談もメモを取る子がいるんですよ。聞き逃しちゃいけないと思うのかな。」
そう言って彼はメロンソーダを少し吸った。
その日のスペシャルティであるメロンソーダは、本格的にレトロな逸品だった。こだわりは澄んだグリーンだった。メロンシロップは一周回って人工的なのが懐かしい。少し青みがかった厚めのグラスに透かすと、星を散りばめたみたいなたまらないグラデーションが生まれる。この煌めきの塩梅がくっずれないうちに、そっと吸い取ってしまわなければならない。金城先生はの蛍石の原石でも扱うように鄭重にグラスを両手で持ち上げていた。
「化学の授業でちょうど元素を教えているところなんです。結晶図鑑というのを教室の隅に置いておいて、好きに読んでいいって言うと、お気に入りの元素を見つける子がいる。ノートのページの端の所に、「豆知識コーナー」みたいなのを作って、「ビスマスは虹色の結晶」って」
つぶやきをなぞるようにわたしのペンも動いた。『ビスマスは虹色の結晶』
「わたしがメモを取るのも、受験生と同じ心理かも知れません。誰かから聞いたお話を記事にするのが仕事なので、ひとの発する言葉のひとつひとつが原石みたいに思える。聞き逃してしまうのは、言葉の中の真実をみすみす指の間から取りこぼすみたいで……」
謹慎期間の間もメモを取り、気になった場所に行き、記事を作ることをやめられなかった。時間と共に情報の鮮度が落ちるのに耐えられなくなって、一昨日は編集部あてに原稿まで送ってしまった。即刻かかってきた電話で、デスクはお冠だった。
「なんのための謹慎だと思ってるんだ。復帰できなくてもいいのか」
すごい剣幕で怒鳴られたのを思い出して、香味付けの粒山椒を噛んだみたいな、苦々しい顔をしていたらしい。わたしは何のために書くのか。
「じゃあ、辞めてみます?」
真紀ちゃんが絆すような優しい目で少しだけ笑う。
「はい、手慰み。栞さんにはまだでしたね」
手渡されたのは、弁当箱ほどの大きさの籐篭だった。中にはグラデーションの夏毛糸と編み図が入っている。
「手持ちぶさたのお供なんですよ。思わずメモを取ってしまう栞さんの、指を封印してしまおうと思って」
「素敵な色の糸ですね!海の色みたいだ」
金城先生が目を輝かせた。夏素材の毛糸は、ディーブブルーからターコイズ、空色、白を経由して砂色に移り変わる、確かに海の色をしていた。編み図どおりに作りあげれば、コンパクトなストールができると書いてある。
「編み物は初めてですか?鈎針はコツを覚えれば、難しくないんですよ。指先の器用な栞さんなら、すぐに覚えてしまうはず」
「じゃあ、やってみようかな……」
店内で拍手があがった。反対隣りに座っていた老夫婦が、彼らの「手慰み」である大人の塗り絵から目を上げて、祝福してくれたのだった。
「いいなあ。僕はまだ、手慰み探し中なんです」
先生は上体を逸らしてあっけらかんと笑った。(つづく)
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