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【エッセイ風】19歳の時の手記

 19歳の年、わたしは大学受験に失敗して、高校を卒業した次の日から、とつじょ空白の一年間が出現した。
「だめかも、浪人しちゃうかも」
 高校の時には冗談はんぶんで口にしていたことが、ずっしり現実になってしまうとパニックが襲ってきた。身分も、社会的地位も不在な一年間。高卒以外の資格はもっていないというのに。
「自宅警備員」「家事手伝い」って、自虐まじりに言ってはみるけれど、不意に美容院で「何年生?」と聞かれると一瞬答えに詰まった。

 うまくいかなかった不甲斐なさと、情けなさと、悔しさと、先行きの見えない辛さと。周囲の人たちが次のステージに進んでいくのに、自分だけ取り残されている焦りも感じていた。推薦入試の子は、春休みからすでにアルバイトを始めている。同級生が接客するサーティーワンに入って、応援のつもりでダブルを注文してみたけれど、わたしが解いているのは一年前と同じ演習問題。

 その年、わたしはいつも以上にひとの誕生日に敏感になっていた。同じクラスだった子、家が近かった子。数日前からアラームをかけて、当日忘れずにメッセージを送る。
「ひさしぶり!最近元気?お誕生日おめでとう。大学生活楽しんでるかな。また落ち着いたら会えるといいな!ハッピーな一年になりますように!」
 友情を確かめ合いたかったわけじゃないし、構ってほしかったのでもない。その年のわたしは、ひとに思いやりを示すことでしかじぶんの存在価値を見出せなかった。だれかになにかを与えることでしか、自分の存在意義を確かめられないと感じていた。

 浪人生の身分で、だれかの役に立つのは難しい。
 社会のエスカレーターのはざまに落っこちて、勉強しなければ未来はないと脅されるし、そのほかのことをしようとしても土台が見つからない。予備校の夏休みは一日12時間机に向かうという計画を立てさせる。そればっかりじゃあまりにも利己的なようだし、守らない怠惰はいのちとりだと教えられる。高校のような部活や授業、行事もない。いつしか、ひととのつながりが希薄になっていった。
 誰かとつながっていたかった。誰かに必要とされたかった。
 
 お昼休みの教室、ポケット将棋盤で遊んでいた子が声をかけてくれる。おなじ日本史選択。一緒に自習室に通うようになる。しんと静まった自習室で、筆談でお昼の時間を決めてファミレスに入る。夏の終わりには気分転換に遠出をして、浜辺を散歩した。夕焼けがくすんだ灰色に沈むまで足首をぬるい海水に浸していた。
 
 彼女はその年から欠かさず誕生日にカードをくれる。別々の大学に進んだあとに始めた文通では、たわいもないことばかりお互い書きまくって送るから、支離滅裂、笑っちゃわずにはいられない。
 あれから、今年で十年になる。
 

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